3巡目

四国の母との出会い遍路 区切り遍路45日目

先日2023年9月に行った八幡浜遍路を書き終えた所でありますが、実はその前に合計5日間、2度に区切った愛媛県西条市から香川県宇多津町までの遍路が残っておりました。

しかし、自分の体力に見合った遍路が出来なくなったことに嫌気がさし、日記を書く気すら起きていない状態だったり、パソコンの故障により更新作業や写真データのやり取りを面倒に感じておりました。

『このままではいけない』とずっと心に引っ掛かっていたところ、前回の八幡浜遍路で元気(とは言え、やはり犬の体力により予定より早く中断)を貰ったと同時に、パソコンではなくスマホでの更新作業の練習も果たせて再び更新が出来るようになりました。

この日記は2033年の2月に行った区切り遍路44日目④の続きになります。

前日、池田池というどっちから読んでも池田池公園でテント泊をしました。

2巡目をビーニャさんと歩いた時の野宿候補地だったのですが、その時は手前の萩生庵に泊めて頂き翌日通り過ぎるだけだったので、こうしてここに来れたことを嬉しく感じます。

勿論、風呂無しの辛い日となりましたが、髪の毛を水で流すことが出来たのは幸いでした。

夜から降る予報の雨も今朝になってまだ降っておらず、雨に濡れること無く撤収作業が出来たのは幸運でした。

しかし、歩きだして5分もしない内にポツポツと雨が降り始め、あっという間に雨具が必要な状態となります。

「もう少し遅かったらテントの撤収が大変だったね」と話ながら、雨具を着れる場所を探しますが中々良い場所が見つけられず、やむ無く雨避けも無い所で急いで犬や自分達の雨支度を済ませました。

雨に濡れた犬達を見るととても心が痛いものですが、本人達はいつもと違う雨模様に心が踊っていると見聞きしたことがあります。

人間のほうはと言うと、歩いたことがある人なら分かると思いますが、もう気分は最悪です。

雨予報の出ている現実を否認したところ、願いも虚しくやはりこうなる運命。

救いは今日で区切り遍路を終えるので風呂には入れることが確定していることでしょう。

ポンチョを着て視界も悪いし、身体に貼り付いて気持ち悪いしと嫌な気分でモヤモヤしながら暫く歩いて後ろを振り返ると、ビーニャさんが後ろをついて来てません。

『またカイが歩かなくなったのか…』と更にモヤモヤしていると、どうやら俺が視界の悪さにより遍路道へ入る側道を見落としていたようでした。

モヤモヤ(イライラ)しながら歩くと視野も狭くなってこういうミスを侵すもんです。

ほんの少ししか歩いていないのに、もうこんな雨模様で、今日は予想以上に天気は悪くなりそうです。

余り好きな道ではないので更に気が滅入り、この日撮影していた記録には、自分の遍路の変化をこうな風に何度も語っている姿が映っています。

「俺の遍路は、引きこもりから『このままではいけない』と飛び乗った電車から始まった“自由”の遍路だった。あの時は何処まで歩き、何処に泊まるも、誰にも束縛されないまさに“自由”で、家の限られた空間でしか生活出来ない世界とは全く違う素晴らしい世界だった。しかし、その後何故か一人増え、不便になったと思えば更に一匹増え、ここから物凄く遍路が狂い始め、更に一匹増え、今となっては“自由”な遍路など程遠く、あの頃とは違って“不自由”な遍路となってしまった…」

今となっては自分のペースで歩くことはなく、荷物も物凄く増え、歩く距離も半分以下の日が普通となった。

そこで単純な人なら歩く距離が短いことを「遍路は距離じゃない!」と、ポジティブに捉えるだろう。

しかし、最低限の距離と言うものもあり、同じ時間を歩き、距離が半分となって問題なのは、恐らく遍路をする人の中でも最重量の部類に入る荷物を背負っている時間が伸びるということであり、一人ならその時間すら半分で済む訳だ。

この“半分”を具体的な時間で表すと更に問題で、1日につき“半日”残業となっている訳だ。

関ノ戸の坂をダラダラと登っていると前方に善根宿が現れた。

数年前から見かけており気になっていたこの場所だが、さすがに「犬連れで庭でテント…」なんて言えなかった。

玄関の貼り紙が目に入ったので見てみると、宿の主人はこの日から札所巡りに出ているようだ。

そう言えば直前に宿の主人と思われる車とすれ違い、俺は『あっ…』と反応したのであった。

その後もずっと雨がやむこともなく同じボヤキを繰り返しながら別格札所の延命寺に到着し、東屋で昼食を済ませ進みました。

昨日見かけた野宿遍路っぽい女性が同じタイミングで休憩していたので少し話をしたところ、昨日は先ほどの善根宿にお世話になったそうです。

俺の最も疑問に思っている「風呂は?」との質問に対しては、温泉まで連れていって貰えたとのこと。

なんと羨ましき…。

今は枯れてしまった“いざり松”が有名な延命寺ですが、東屋の周りには沢山の石柱が立っており、“こんぴら”を示す遍路石も含まれています。

しかしよく見ると上部が窪んだ石柱が目立ちますが、果たしてその理由は何故でしょう?

答えは、幅広く枝を広がるいざり松の枝の土台として使われており、枝を支える為の窪みだったわけです。

因みに上2枚は後日撮影したものになりますが、雨の日は一眼レフを濡らしてはいけないので写真の枚数もグッと減りますし、この時から撮影を始めた動画もあったりで、写真と動画の配分に困惑し、あまり記録が残っておりません。

この日は雨のなか淡々と歩き続け、予定(伊予三島駅)より一駅手前の伊予寒川駅にて区切ることになりました。

その頃から雨もあがり「なんだよ!!!クソが!!」と騒いだとかなんとか。

実はこの日、お遍路で知り合った友人から四国の方を紹介されており、その方と会う予定があったのでここで区切り、車を回収しに電車に乗ります。

俺は昔のトラウマから人と会うことに異常なまでの緊張と、精神的な強いブレーキが掛かってしまい、その直前まで必死に“避ける”思考に悩まされる癖を持っております。

しかし実際会ってみたその方はとても暖かい雰囲気に包まれており、今でも連絡を取り合い、近くを通った際は泊めていただいたり、有難い縁を頂いたと感じております。

この日は夕食を頂き、風呂にも入らさせて貰って庭でテント泊となりました。

お宿はビニールハウスinテント。

『こんな所に住んでみたい!』と思うような眼下に広がる海をみながらゆっくりと休むことが出来ました。

翌朝、番外札所となっている新長谷寺を見に行きました。

意外と宿の選択に悩む西条市→四国中央市間ですが、遍路地図とにらめっこをしているとついつい気になるユースホステルがここになります(休止中かな?)。

そんな気になっていた場所に来れたことに嬉しさを感じたところですが、

この寺の階段が凄いのなんの、角度も、長さも、凄いのなんの。

上から見下ろすと、ぼく、すっごく、とびたくなるの。

更にもうひとつ、本当は歩いて立ち寄るはずだったのに雨にイライラして見落としてしまった番外札所三福寺へ。

ここにもまた延命寺の“いざり松”に似た幅広い枝の松がありましたが、この地区ならではの物なのでしょうか?

今は無き“いざり松”に思いを馳せて、そして“四国のお母さん”と今でも連絡を取り合っている母を思い出しながら、数ヶ月遅れてこれにてこの旅の記録は終わり。

記憶を探りながら書いた過去の旅の記録ですので参考までに、再び更新が止まっている相方のその日の記録を紹介と、この日の記録にも書いたように足を引っ張るばかりで旅の記録も度々書かなくなるお前となんで遍路を続けないといけないのか意味がわからないというメッセージを残して愚か者にバイナラ。

る~る~る~。

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