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プロフィール

ご挨拶

はじめまして。

数あるWebサイトの中から「ひきこもり、お遍路へ行く」を見つけていただいて本当に嬉しく感じます。

このブログを運営しておりますあだちと申します。

1982年(昭和57年)宮崎県に生まれ、先日40歳になったばかりの九州男児です。

タイトルにもあるようにひきこもりだった経験があり、2015年に勇気を出して家から飛び出た時からAmebaブログを書き始め、今まで1100件ほど書いてきました。

その後の旅の経験や自身の抱えている問題について、同じく悩む人たちと共有でき、自分の経験が何かの役に立てればと思いブログを書き続けています。

2022年にAmebaブログから独自ドメインを取得し、このサイトへ引っ越してきました。

主にペット2匹と歩く四国八十八ヶ所の野宿お遍路旅や、日本各地を車中泊で旅する記録、自分の抱えている精神的な問題を取り扱ったブログとなっております。

お時間が御座いましたら、このまま「何故ひきこもりなのか?」「何故、遍路なの?」と言う部分まで見ていただけると嬉しいです。

何故ひきこもり?

ひきこもりと言ってもとても複雑なもので、その原因を短く語ることは非常に難しいことでありますが、自分の経験を話すとすれば、そこには父との関係から始まる生き方の癖がありました。

私の父に対する記憶というのは恐怖という言葉しか思いつかないほど恐ろしいものでした。

今の時代では考えられないほどの暴力や生き方の強要をされて、父が亡くなる16歳まで怯えて生きてきたのを今でもまざまざと思い出します。

そんな父はアルコール依存症で、更に🔥酒乱タイプ🔥アルコールを飲めばたちま目がとろけ、私に因縁を吹っかけて襲い掛かってくる。

自動車の中から焼酎のパックが見つかるほど、いつ、どこでアルコール飲み、果たしていつ暴れだすか分からない!そんな父でしたが、私が16歳の時、父はアルコール依存症の平均寿命と言われている52歳でこの世を去りました。

こんな父との関係により、既に中学2年生の時には非行に走り、不登校とひきこもりの生活の予兆が出始めていたのでした。

あれ、なんかおかしい

父の死からすぐに家を出て一人暮らしを始めた私は、20歳の時、長男に恵まれ、それから2年おき2人の娘が誕生しました。

しかし、今思えばその頃から既に自分は親父の生き写しで、家事や子育てにも全く手を貸さない人間だったのです。

長男が3歳になった頃、事件は起りました。

「かわいい・・・」

片言の言葉で「パパ」と、ピースにもならない指を立てながらこっちを見て笑う長男を見て、今まで子供に対しての愛情もなかった人間が愛を感じたでも言うのでしょうか?

しかし、それは悲劇の始まりでした。

脳内で一気に溢れ出してしまった幼い頃の悲しい記憶。

凄い力で蓋をしていた開けてはいけない記憶が一気に押し寄せた瞬間でした。

「俺は、親から虐待を受けていたのか・・・」

それまで躾とか暴力だと思っていたものの意味を知った瞬間、凄い勢いで怒りに支配され、自分の生まれてきた意味がわからないまま人格が崩壊していくのを感じました。

全く眠れない

苦しかった親子関係を、我が子を見て再体験してしまったことにより、途端に頭の中は親に対する怒りと恨みでどうにもならなくなり、全く眠れない日が続きました。

「寝るため」と自分に言い聞かせてビールを何本も流し込みますが、それでも全く意味がありません。

ついには精神病院のお世話となり、たくさんの精神薬が処方されることになりますが、それも意味を成しえず、あっという間に精神薬をビールで流し込むようになり、その量はどちらも増え続けるのでした。

この頃から生活のリズムも完全に崩壊してしまい、仕事も出来なくなり酷いひきこもり生活が始まります。

とにかく、発泡酒を大量に飲んで、精神薬を大量に飲んで、寝ることしか出来ない日々が長く続くのでした。

今考えれば、虐待による複雑性PTSDの影響により、酷い鬱病になっていたのでしょう。

遍路に行ってみたら・・・?

そんな生活を支えていたのは妻と母の資金援助でしたが、この2人に支えきれないほどの重みが掛かりすぎていたことは当然のことでした。

そんなある日、酒を飲みカーテンも閉め切った暗い部屋にひきこもる息子に母はこう言います。

「遍路にでも行ってみたら?」

この言葉がその後の人生を大きく変えることとなるのですが、その時の私には「遍路って何処かで聞いたことあるな」って程度のものでありました。

どれくらいひきこもり、どれくらい酒や薬を飲んだのかわからないけど、そんな自分が嫌になり遍路に飛び出す日がやがて訪れました。

「遍路に行って酒も煙草も薬も断とう!」そんな無理ばかりの勢いで乗り込んだ初めての四国の地は23時間で再び九州に帰ることとなります。

それから再び落ち込んでひきこもっては、自転車や車に乗り四国一周旅をしてみたりしますが、地元に帰ってから新たな気持ちを継続することは難しく、もちろん酒も薬も手離せれてはおりませんでした。

あなたを逮捕します

眠れない、酒も薬も手離せない、そして、24時間いつでも父に受けた虐待の怒りに支配され私も、周りの家族も疲弊仕切っていたと思います。

そんなある日、遂に事件は起きました。

父に対する怒りが遂にどうにもならなくなった私は、父の仏壇の前で、自分が苦しんだ記憶に押しつぶされ、その場で記憶を失い大暴れしてしまい逮捕されることになったのでした。

自分がまさか逮捕されるなんて・・・、こんなこと親父はいつもやっていたのに・・・と、警察官に連れられ牢屋の中に入った私を待っていたのは意外にも、何とも清々しい気持でありました。

「やっと落ちるところまで落ちきれた・・・。これ以上は苦しまずに済む・・・、あとは登るだけだ!」

思えば、ひきこもっている時も沢山自分を傷付け、とても自分を追い込むことばかりしていました。

「今より苦しいことをすれば、この苦しみから解放されるはず!」

こう思い挑んだ遍路が23時間しか持たなかった理由は今となってわかります。

「よし、ここから這い上がろう、酒も煙草も精神薬も、もうやめるんだ」

素直にそう思えたのは牢屋の扉が閉まった音と同時のことでした。

あなたはアルコール依存症です

留置場から出てきた自分を待っていたのは精神病院の診察でした。

家にも帰ることは許されず、妻も子供も会ってくれませんでした。

暫くして精神病院の診察の日を迎えアルコール依存症の診断をいただきます。

親を憎み、親のようになりたくないと思いながらも、気が付いてみれば、親と何ら変わらない・・・、

いや、親より酷い人間に私はなっておりました。

お陰様で、牢屋の中で誓ったいくつかのことは、あれから9年経った今でも守られております。

しかし・・・、

離婚してください

事件から半年ぶりに会うことが出来た妻から精神病院内で突き付けられたのは離婚届けでした。

仕事もせず、酒も煙草も好きなだけの恐ろしい男が、病院の床に額をつけ謝っても、それは今更変わるものではありませんでした。

それでも私は「書けない」と逃げますが、残念そうに帰る妻の背中に自分が情けなくなり、追いかけてその場で署名して離婚が成立します。

もう、精神病院にいる意味がなくなった私はすぐに退院に動き出し、人生の再起と、依存症である自分との共存に生きていくことになるのです。

現在まで

お陰様で現在も誓いは守られ、人並みな生活を目指しながら生きることが出来ております。

あれからの自分を支えてくれたのは、不思議なことに依存症の面白すぎる心理の世界でした。

原因あってなるべくしてなった病気である以上、自分を責める必要はありません。

今まで多くの依存症者やその家族をたくさん見てきて、この病気は親から子へ引き継いでしまう不思議な病気であることを知りました。

しかし、苦しめた相手も沢山いるし、今後の人生を考えると守らなければならないものもあります。

あれから私は、依存症の世界で自分の生き方を見直すことを今でも続けており、そのチェックの舞台に選んだのが四国遍路でした。

今でも過去の自分の背中を追いながら2匹の犬と四国の地を歩いております。

 

断酒3年目、私は再び酷いひきこもりに苦しめられ家から出ることが全く出来なくなりました。

しかし、ある日「このままではだめだ」と慣れない電車に飛び乗り、そのまま向かったのはやはり四国の地でした。

そこから始まったのがこのブログであります。

伝えたいこと

何事も、理由あって、そうなっていることを、依存症を勉強して知りました。

だから、過去の自分のように、知識が足りないだけなのに苦しみ続ける人を少しでも救いたいと、そう思うし、知識の少なさにより、大切な人同士で傷付け合うのも見たくありません。

その人がそうしているのではなく、そうさせている原因があるのです。

とは言え、私には自分の経験を話すことしか出来ず、他人を救うことは出来ません。

 

 

伝えたいのは、

この物語の主人公はあなたであるってことです。

 

 

今、このブログを読んで下さり、これから私の経験を目にしていっても、それはあなたが経験していることです。

主人公はあなたで、

この物語は何処からでも、何時からでも、書き換えることが可能なことを決して忘れないでください。

ここまでご覧いただき本当にありがとうございました。

 

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