笠置峠入り口を登り始めてすぐに三瓶神社の入り口があった。
因みに三瓶(みかめ)と読むことが出来なかった俺は「みつびん神社」と言うことにしといた。
登り始めは勾配のキツい坂だったが、程無くして目標としていた墓地に辿り着いた。
墓地からは今日歩いてきた道が見えて清々しく感じる。
新しく歩く遍路道、新しく参拝する神社仏閣、そして思ったほど気温の上がらない幸運と、これから始まる峠越えにワクワクする。
墓地の奥に薄暗いお寺が見える。
イメージしていた安養寺とは違う姿に少しがっかりした。
無人と言って良いのかどうなのか、そんな雰囲気の安養寺。
一応、俺の設定では九州から訪れる遍路の札納めとして88番札所の奥にある與田寺をイメージしていた。
いや、流石に與田寺は大きすぎるので、それに劣るとしてもせめて普通のお寺であるだろうと、
実際は必死に篠山を越えた先にあった飛大師(少林寺)に似た雰囲気だった(と言っても飛大師を知る人は限られている)。
安養寺の入り口に立つと、そこまで続く階段を見つけ『ここが遍路道なのでは…?』と残念に思った。
後から知ったのはここの階段には、これから向かう古墳の石が使われていたとのことで是非とも見たい話であったが、次回の楽しみと言うことにしておこう。
臨済宗の安養寺だが、先程も書いたとおり九州から来た遍路が43番札所で結願した後に立ち寄る場所だけに大師堂があり、この中には納札がたくさん貼られているとのこと。
さて、どうしたものかと恐る恐る戸を開こうと試みるが、隙間から見えてしまった物置化している大師堂に慌てて戸を閉めてしまった。
取り敢えず『お賽銭を』と賽銭箱を探すが見当たらずその場に納めることにした。
『誰か取るだろうか?またそれもいい』
アルコール依存症と診断された過去のある俺だけに、納骨堂から酒を盗むとかお賽銭を盗む話を沢山聞くので、そんな想像が膨らんでしまう。
安養寺を後にして笠置峠に向かって歩き出す。
安養寺横の墓地まではアスファルト道だったものの、すぐに土の遍路道へと変化した。
アスファルトから土の道への変化はお遍路さんの喜びの瞬間であり、アスファルトが人間の足の為に作られたものではないことを痛感する瞬間である。
さすが古道だけあってよく見ると石畳の道も所々存在した。
まだ序盤であるが結論から書くと笠置峠は傾斜も緩やかな古道で、実に歩きやすい初心者向けの道だとお気に入りの遍路道となった。
しかし注意しなくてはならないのは遍路道あるあるの1つ“逆打ちだとキツい(またはその逆)”であり、笠置峠も逆打ちとなる八幡浜からの道は中々キツいものとなりそうだ。
考えてみれば逆打ちとなる八幡浜市は海の町であり、順打ちとなる西予市は宇和島という海の街を上ってきた町であるから既に標高が高いのだ。
登り始めて暫くすると清水地蔵と馬頭観音のある場所に辿り着いた。
名前の通り山水が沸き出すこのエリアには水汲み場があり、それを楽しみに歩いてきたが、最近は四国のどこもそうなのか随分と水が枯れている印象だ。
写真の右から左へと傾斜のある道を登り、振り返って撮影したこの一枚だが、右下に山水を汲める瓶があり、清水地蔵の右側にとても小さな馬頭観音の石仏が置いてある。
気を付けてないと見落としてしまうが、そんな俺は山水の写真を取り忘れたことにこれを書いている今気付き落ち込んでいる。
瓶には水が染みる程度しか出ていなかったが、清水地蔵の足元の溝にはそれなりに水が染み出ていた。
野宿で山水を多用する我が家にとっては厳しい現実となった。
近隣の市が管理しているのか随分と整備された笠置峠だが、遍路はまだまだ少ないと思いながらも、たまに見かける遍路道標の存在に嬉しくなる。
登りも下りも見所の多かった笠置峠だが、この古墳の窓だけは時期的な問題(草の生い茂り)か、全く何なのか解らないものだった(向こう側の山の上に古墳が見えるようです)。
ここまで実に歩きやすく、道に迷うこともなく、時々車道と合流したりしながら清々しく歩きました。
近所にこんな道があったら良い、そんな遍路道で、犬も随分と楽しそうに歩いています。