3巡目

遍路石発見から笠置峠を目指す

偶然にも遍路石を見つけたことに大喜びする俺に、隣の畑で農作業をしていた70代ほどの2人が話し掛けてきた。

じいさん「ほら、そこの池の下を遍路道が通っていたんよ」

俺は「これですか!?」と更に喜ぶ。

俺の向かおうとしていた道は遍路石から右側の車道だったが、どうやら遍路石の左側の小道が古来の道のようだ。

更に「後ろのその道も遍路道だけど、向こうの公民館で道は潰されとる」と。

来た道を振り返ってみると確かに俺達が歩いてきたアスファルト道とは別に電柱の横に小道がありった。

もう一人のじいさんも会話に混ざってくる。

じいさんB「オイネさんが歩いた道よ」

一瞬『?』となった俺は“オイネさん”をお遍路さんの聞き間違い、またはこの地域ではお遍路さんを“オイネさん”と呼ぶのかと解釈して話を続けた。

しかし、どうも様子がおかしい。

会話にやたら出てくる“オイネさん”に遂に疑問を持った俺は「オイネさんって何ですか?」と問うてみた。

じいさん「シーボルトの娘さんよ」

俺『ああっ!何処かでそんな話を見かけたこともあったが、ここの話だったのか!』

これから我々の向かう笠置峠を越えて八幡浜の町に下り、オイネさんは別格札所の出石寺へ行ったことがあるようだ。

それに記憶が正しければ宇和島藩の伊達の殿様もこの道を通ったはずだ。

ここで折角なので“オイネさん”について調べてみよう。

楠本イネ…、長崎でドイツ人医師のシーボルトと日本人女性の間に生まれたハーフ。

シーボルトが国外追放になってから卯之町(出発した上宇和駅から約2km)にてシーボルトの門下生の元で医学を学び日本初の女医となった人。

出てくる若い頃の写真の美人っぷりに驚く。

じいさん達に御礼を告げて、教えてもらった遍路石の横の小道を進む。

その小道は終わりが見えている程の短い距離なのだが実に歩きにくく、畦道として使われている道だったので無理に進む必要は無い。

それにしても本当に地元の人から得られる情報は有り難いものだ。

以前からずっと遍路道の研究に興味のあった俺は、古来の道を知る世代が生きている今の時代をとても惜しく感じており、自分が四国に住んでいないから叶わないその夢にいつも悲しくなる。

俺にとって遍路とは“いにしえの道を歩くこと”であり、札所はその通過点としか捉えていない。

当然、歩いた経験のある方が様々な事情により(加齢とか)車で札所を巡ることは肯定したいが、歩くことを知らない人達の交通手段の後に“遍路”の文字は付けたくない。

これは自身が10周を超える乗り物を利用した“札所巡り”をした経験と、たった3回の遍路(徒歩)を通して感じた全く別次元の“似て非なるもの”であるからだ。

俺の経験上、乗り物を使えばあくまで目的は札所であるが、歩けば道がそれとなり、それだから遍路は徒歩となる。

きっと遠い昔に自動車が存在したとしても、答えは同じで、所詮カーナビの目的地がその答えである。

“人生 即 遍路”という言葉があるが、

我々の人生が肉体という乗り物にのった瞬間に画面で目的地を設定して、そこに向かって最短距離と最短時間で走るだけとは思えない。

その道中には様々な道があり、それを選択し、汗も涙も血も流しながら、雨も日差しも風も、今日の飯、喉を潤す水、身体を休められる場所と言った正に“人生 即 遍路”を歩むのだと思う。

そして歩くうちに自然と自分と向き合う(無になるという言葉は使いたくないが…)、その中で自分なりに理解した神でも見つけ出すことが出来ればそれが信仰とも感じている。

そうしているうちに、神が自分の内にいることを知り、自分も神であることに気付く。

いつも自分(神)が一緒についていてくれることや、他者にも神が宿っていることを知る。

山に沿う形で淡々と遍路道を想像しながらアスファルト道を進む。

左奥に見える山の中腹に墓地が確認でき、それを目標としていた安養寺と予測していたところ分岐点が現れ、墓地とは違う方向(直進方向)に“ナルタキ古墳群”を示す小さな看板が確認できた。

これから向かう笠置峠には古墳があることが有名だが、方向からして“ナルタキ古墳群”はそれとは違う古墳だろうと直進せず左折を選び墓地の方向に向かった。

因みに笠置峠にある古墳の名前は“笠置(かさぎ)峠古墳”と呼ばれ“ナルタキ古墳群”ではない。

左折した少し先に再び交差点が現れたが、墓地の方向からしてここは右折だ。

それに看板のようなものが右折した先に確認できた。

この交差点まで来れば笠置峠古墳を示す看板と地図も出て来たので頭の中のイメージと擦り合わせた。

看板もあったが、先ほどの交差点まで来ると笠置峠入り口を手中に捉えたようなもので、その先の人工池の手前を左折しアスファルト道を外れて農道を歩いた。

その理由はもうひとつの目印としていた“三瓶(みかめ)神社”が左手に見えたからだ。

すぐに農道からアスファルト道に出て、三瓶神社のある山を左に接しながら正面に墓地を捉えた。

そして遂に笠置峠入り口へと辿り着いた。

ここまで出発した上宇和駅近くの下松葉交差点から約4km。

地元の人と話をしたり、遍路道を探しながら歩いたから少し時間はかかったものの、普通なら1時間程度の距離だろう。

快晴に近い天気だが、心配していた気温の上昇は今のところ問題はなく犬も楽しんで歩いているようだし、ここまで田畑のなかを進むとても歩きやすい良い道でした。

一番楽しんでいるのは相方ビーニャだが…。

ここまでを振り返ると思い出されるのは途中ですれ違った盲導犬の顔だった。

主人の命を守るお役目中だった彼は何度も振り返り、羨ましそうに我が家の2匹を見ていた。

切なく方眉を下げ、その困ったように見えた顔は『僕も一緒に遊びたい…』と言っているように、何度も振り返り歩く姿にとても悲しさを感じた。

彼の勇者っぷりを否定するわけではない。

ただ四国を歩いて旅しながら沢山の“ペット”を見かけ、いつも自分に取って返すのは、

長距離歩き、暑さ寒さの問題を我が家のペットはどう感じているのだろう?という、考えてみても自分勝手な想像しか出ない迷いだった。

我が家の2匹は常に車に飛び乗り出掛けようとアピールする。

現時点では遍路や車中泊の旅に、家にいるよりは楽しい何かを見出だしているということにしとこう。

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