3巡目

笠置古墳から峠を下る

さて、笠置峠で休憩をしました。

毎回のことですが、息を切らしながら登った先にある峠は『ほっ』と安心するものです。

ところが意外と下りの方が大変で、時間のかかるもの。

俺「どうする?古墳を見に行くの?」

ビーニャ「うん、折角だから行きたい」

俺『チッ、笠置峠に興味を示さなかったくせにめんどくさい奴だ…』

遍路ではチョッとした遠回りすら嫌になる。

峠の地蔵時点で古墳は目視出来ておらず、まだ少し歩くと予想。

現時点での俺の頭のなかは“今日の風呂”で埋め尽くされており、今日中に八幡浜を抜けて大洲に下り車を回収して風呂に入ることを当てにしているのだ。

一応、八幡浜にも温泉はあるのだが、そこは道から結構逸れており、テントも自炊道具もいつも通り背負っているが近くに野宿できる場所も思い当たらない。

一人では可能となる“命より大事な風呂”を、こんなに歩くのが遅い上に休憩と食い物ばかりを要求する奴らを連れて、更に遠回りまでしてリスクを犯すのか。

歩くことより、そこらじゅうを“におう”ことに命を掛けている奴らもいる。

自分以外の“におい”を見つければ、ワザワザしっこして上書きを試みるが、

『おい、もう出てないぞ(しっこ)。お前らの体内に水分は残っていないはずだ。だから歩け。マーキングしたところでもう来ないんだから…』

と、俺は短い命のコイツらに問いかける。

しかし、折角だから古墳を見に行くことにしました。

峠の地蔵から距離にして500mも無かっただろうか。

ワザワザ古墳を見に行くことを決意させた理由はもうひとつありました。

実は峠の地蔵の手前に草の生い茂った古道を発見しましたが、そこには何の道標も無かったので笠置峠の下りが分からなかったのです。

しかし、俺の遍路レーダーが「遍路道はこっちだ!」と叫ぶ。

『う~ん…』と念のため古墳を見るついでに、そっちに下りの道が無いかの確認もします。

前方後円墳のわりと大きな古墳の脇をグルッと回る形で奥から古墳の上に登ります。

そう言えば幼かった頃から俺は古墳や化石などの“古いもの”が大好きで、父に佐賀の吉野ヶ里遺跡や宮崎の西都原古墳群に連れていって貰ったり、化石掘りなどしていました。

なぜ古いものが好きなのか今でも分かりませんが、今もこうして遍路をし、古道を歩き、石仏や遍路石に惹かれる辺りにその名残があるのかもしれません。

四世紀前後に造られた四国最古と言われる古墳ですが、それは笠置峠の古道もそれだけ古いものであると言えるのかもしれませんね。

標高400mを超える高台に約50mの前方後円墳ですが、ピラミッドと言い、古の人達は何を思って創造したのでしょう。

頂点には埋葬施設(竪穴式石槨)もありました。

見晴らしも凄く良いところで、歩いてきた西予市方面も、八幡浜、大洲方面も眺めることが出来ました。

フェリーや高い所などから四国の西側の景色を見渡す時、俺の目は自動的に篠山を探しますが、毎回これと言って見つけることは出来ていません。

さて、遍路に戻りましょうか。

俺「そこから下れそうだけど、遍路道に合流するかな?行ってみる?」

ビーニャ「ちゃんとした遍路道を歩きたいから峠の地蔵まで戻ろうよ」

俺『めんどくさい奴だ…。笠置峠に興味なかったくせに…』

古墳からの戻りは来た道とは違って、古墳の上から一直線に峠の地蔵まで戻り、草の生い茂っていた遍路道へと下ります。

因みにこの約1ヶ月後に遍路道保存協力会の調査が笠置峠入っているので、道標は増えていると思われます。

偶然にもこれから向かう先の昼夜峠の調査がこの日行われておりましたが、これだげブログで生意気言っていると怒られそうなので、遭遇しなくて本当に良かったです

峠の地蔵に「また来ます」と挨拶をして下りに入ると、高知(宿毛)と愛媛(愛南)の県境“松尾峠”の下りを思い出すかのような整った道が始まります。

「凄く良い道だね!」とお互いに感動しながら下りますが、途中から下りの勾配が増していきました。

それもそのはずで、今から向かうのは港町の八幡浜市なので海に向かって下り始めていることになります。

暫く下っていると“牛神さま”と書いた看板の向こうに祠がありました。

ちょうど直前に「大日如来は天照大御神らしいよ」と話をしていましたが、

祠の中には馬頭観音さんと大日如来さんがいらっしゃいました。

70番札所の本尊となっており、登りの清水地蔵でも見かけた馬頭観音ですが、馬の守護仏とされています。

馬に限らず畜生(鳥獣虫魚)を救うともされており、“畜生”と言えば人を罵る言葉として使われておりますが、昔は人の生活に欠かせない大切な存在とされていたのでしょう。

車や鉄道など機械が便利になった現代ですのでその意味も薄れておりますが、

なら“車頭観音”でも作って敬えよ。

それにしても色んな“観音”さんがいらっしゃいますが、観音とは無縁そうな恐ろしい表情をした観音さんの存在をいつも不思議に思います。

人や畜生達から苦るしみを抜く過程で自身の顔がそうなったという認識で良かったでしょうかね。

だから俺もきっとこんな顔で、こんな厳しい事ばかり言っているのでしょうから敬えよ。

まぁ、本気で否定できないほど、日々そういう人達(自分含め)と色んな感情の触れあいをしております(凄く苦しい)。

さて、写真では伝わりませんが俺の人生を表すような激しい下りになってきました。

「篠山の下り(旧裏参道)を思い出すね…」とお互い話しながら慎重に下ります。

もし人生の下り坂がネガティブだとすれば、下りきった先には平地と登り坂しかない。

つまり人生の下り坂は“安堵”出来るものでもあり、人はどうせ登り坂にも文句を言うから結局どっちが良いんだい?という話。

登ると今度は落ちてしまうことを恐れてしまう。

間違いなく言えるのは“平坦”は楽ではあるけど物足りない。

少なくとも俺の人生はあの底(牢屋から精神病院幽閉と離婚の流れ)より落ちてはおりません。

「四国を歩くことだけが遍路ではない。遍路は自宅でも出来ます」

遍路一巡目で出石寺宿坊に泊まった夜の御勤め、観音堂で座禅を組み夜空を見ながらそうおっしゃった坊さんの言葉が思い出されます。

だから、もうわざわざ四国に行かんでいいが。

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