レスキュー犬遍路 区切り遍路41日目⑤からの続きです。
今治市の外れにある湯ノ浦某所での一夜が明けました。
昨晩は温泉近くにテントを張ることが出来てお風呂にも入れたので気分が凄く良いです。
おはようございます。
一日の半分以上を寝て過ごすこの子達も過酷な遍路中はそうもいかず、ずっと歩き続けるのでテントの中に入るとあとはもうグッスリです。
桜咲く4月初めと言えまだ寒いのでお山さんはダウンを着ておりますが、今回の旅からお互いの寝袋を繋ぎ合わせて一つにして寝るようにしました。
数年前に在庫不足で急いで買った冬用寝袋のチャックが左開きで、とても気に入らなかったのですが、たまたま右開きと左開きが揃う形となり2つを御互いにかませて1つにすることが出来ます。
勿論首元は開いて冷気が入ってしまいますが、1+1とはちょっと違うような広さとなり、広々眠ることが出来ます。
何より、命がけで寝袋に潜り込んでくる奴が居て、本当にこれが邪魔で睡眠に悪影響を与えすぎていたので、その対策として寝袋を合体させることとしました。
お陰様で、それなりの体格の2人と20kgを超える犬2匹で普通に眠れるようになりました。
狭い寝袋の中でトグロを巻く犬は本当に最悪でした。
我が家の朝は米を炊くところから始まります。
犬も自分たちも朝と夜は米を炊いてしっかりと栄養をとります。
そのおかげで体力も持つのですが、朝の出発が1時間は遅くなりますね。
本当はテントの中で火を焚きたくないけど、寒い時はしょうがないです。
コロナによる旅の足止めで余っていた非常食の在庫を処分しようと言うことで、朝は固形の雑炊とみそ汁です。
いつもはお茶づけですから少しだけ豪華な朝。
今までは5つのチタンシェラカップが食器を兼ねていましたが、新たに追加したアルパインスタッキングボウルが便利すぎて既に手離せなくなりました。
シェラカップでは雑炊やカレーなどご飯を混ぜて食べるときは器の小ささが致命的です。
さて、準備を済ませたら丘を下り、遍路ルートに戻りましょう。
目の前に見えるのは道の駅今治湯ノ浦温泉です。
道の駅かつ”温泉”と言う名に野宿遍路なら喜びそうですが、温泉スタンドしかありません。
こんな俺でも温泉を背負うタンクは背負っておりませんので、そんな時は目の前の丘を登りましょう。
2ヶ所の温泉がお迎えしてくれます。
国道を少し歩くとわき道へ逸れて歩きます。
高架下を潜ったり、
高速道路を潜ったりする俺の嫌いなタイプの道。
高速道路が作られた後の道は本当に変わり映えの無い退屈な道なのでとても嫌いです。
目に映るコンクリートと金網の道…、あー嫌だ、シラケる。
それを暫く進んで県道と合流すると愛媛県西条市に入りました。
大好きな西条市ですが、それはまだまだ遠く、市町村合併の影響は歩き旅にちょっと辛い。
〇〇市に入っても実はそれはまだ遠く…。
右手に番外札所世田薬師を見ながら丹原へ下ります。
世田薬師は以前来たことがあるけど、本堂までは1kmほど登山が必要となるので未だにそこまでは届かずです。
城跡のようだし”薬師”なのでいつか時間に余裕がある時に登ってみたいですね。
丹原へ下る分岐点に中務茂兵衛の遍路石があります。
「👈大嶺寺 👉國分寺 ち加道」(えひめの記憶より)
ち加道とあるように現在は左に下りる近道が主流ですが、真っ直ぐ行く道も遍路道であるとは知らなかったですね。
そして”大嶺寺”とは何処のことを指すのでしょうか?
60番札所や近隣の寺のついて調べてみましたが、全くわかりませんでした。
が、家にある書物を何冊も引っ張り出してやっと解決しました。
幾つかの話をまとめた結果、明治の神仏分離により廃寺となった寺が”大峰寺”と言う名で復興し、”横峰寺”として独立再興されたそうです。
つまりは峰(みね)と嶺(みね)で、この”大嶺寺”は現在の60番札所横峰寺を指しているのでしょう。
うーん、まんだむ歴史が感じれて本当に面白い。
その三叉路から2㎞ほど丹原の住宅地を歩くと道路より低い位置に番外札所臼井御来迎があります。
奥に見える小屋で少し休憩させていただきましょう。
中央にある社の下からは水が湧き出ておりますが、確か飲用不可であったと記憶しております。
朝出発してから5kmしか進んでおりませんが、昼前の休憩と…、
したいところですが、近所の犬がずっと吠え続けて止まってくれないのがとてもストレスに感じ、休憩を諦め出発しました。
この辺りは休憩ポイントがいくつかあるので先で休むことにしましょう。