高知県と愛媛県の県境の松尾峠を下ると、まず驚かされるのは愛媛県側のトイレの綺麗さだと思う。
と言っても愛媛県の玄関口である観自在寺までの話だけど。
綺麗なトイレの一つ目が見えてきました。
いい位置にあり、きっと誰もが休憩するポイントで地名は小山と言うようです。
もちろん我が家も休憩し、昨晩は野宿で水無き子だったので手拭いを洗わさせて貰います。
トイレから少し歩くと今度は松尾峠から移された松尾大師があります。
ここも東屋と水道があったけど、水道は使えないとの情報もありました。
今では考えられないけど、国道が開通するまでは松尾峠の遍路道が重要な生活道路だった。
四国を歩けばそんなところは多く、峠には茶屋もあったり賑わっていたが国道の開通と共にそちらを通る人が増え、この松尾大師も麓に移されたそうです。
今となってはここにあるより峠にあった方がいい気がしますね。
てくてくと歩き国道の交差点にあるローソンで間食と休憩を取ります。
歩き遍路をすると10時にはお腹が空くので、いつも間食を入れるようにしています。
ローソンから暫く歩くと遍路石がある。
「これよりくわんじざい寺迄二里」
1里=4kmと覚えているので、ここからまだ観自在寺は遠い。
今回は篠山道を進むため今日もこの道を打ち戻り、出来れば一本松温泉に入り、コインランドリーで洗濯も済ませておきたい。
遍路道からは結構離れるが、風呂と何よりコインランドリーは、これから3日間山だったり民家も店も少ない環境になるので済ませておかないと、汗を吸い込んだ服を再び着ることは本当に辛いことなんだ。
四国を歩いていると汗をかかない犬達が本当に羨ましい。
幸いなのは篠山を下った先には秡川温泉というところがあるらしい。
遍路石から少し進むと今度は墓地の中に古宅大師堂があった。
この辺りから篠山らしき山が時々だけどハッキリ確認でき、この大師堂は真っ直ぐ篠山を見ているように感じた。
そして今回の重要ポイントである札掛に到着。
本当に身の引き締まる思いがした。
何度も見た篠山神社の一の鳥居が視界に入った。
普通の遍路はこの鳥居を潜らないので、由来も知らないまま通過することとなる。
ここが何であるかすら知らない人の方が圧倒的に多いだろう。
いったん通り過ぎて振り返るとよくわかる。
今回篠山道を進む我々は、ここから約7km先にある観自在寺を打ってここまで戻り、篠山に向かって鳥居の左の道を進む。
右の道は松尾峠から歩いて来た道だ。
まずは観自在寺だけど、一の鳥居の中にある祠にも挨拶を済ませる。
「後でまた来ますね」
本当にここは特別な地で、ここから約18kmも先にある篠山神社の一の鳥居がこんなところにある篠山信仰のスケールの大きさを感じる。
これほどまでに信仰心が失われた今、このことについて軽々しく書きたくないが、念のため、
足摺岬にある38番札所金剛福寺を打ち終えた遍路は、月山神社か篠山神社を参る習わしとなっていると言われ、篠山参りが叶わなかった遍路達がこの地に札を納めたことで地名が札掛となったと言われている。
因みに逆打ち遍路の場合にもそんな場所があったと言われ、それは番外札所の飛大師少林寺であったと予想されている。
正直申し上げるとこの話、月山も篠山も88個の点しか見えなくなった現代の遍路に、経験の伴わない知識だけを書いて欲しくないと感じている。
いくら知識を書いたところで本人、もしくは現代の遍路がそこに行く気が無いなら意味がない。
是非とも興味を持ってこのことを知って貰いたいと思う。
一の鳥居の先にバフォメットがいた。
動物と動物ってお互いのことをどう見てるのだろうと気になる。
まぁ、うちの猛犬たちは当然威嚇するわけだけで俺は足早に立ち去るけど、
後ろでもやってた。
札掛から観自在寺への遍路道は谷を縫って進む道が多くて意外と大変です。
これを打ち戻ると考えるだけで億劫だけど、ここを乗り越えたら今回2個の打ち戻りを終えることになる。
複雑な遍路道を曲がって曲がって曲がって、
車道を跨いで跨いで、
お馴染みの綺麗なトイレの上大道休憩所が見えてきたので休憩しましょう。