さて、母が31番札所竹林寺を参拝している間の限られた時間で“お馬道”を探さなくてはと竹林寺の駐車場で母と別れた。
ところが竹林寺駐車場の様子が少しおかしい。
どうも目の前にある牧野植物園南ゲートの改装をしているようで、今までメインとして使っていた竹林寺山門前の南ゲートが使用不可のようだ。
そして、駐車場付近に今までは無かったと思われる綺麗な中門が作られており、もっと上に行けば正門もあったようだ。
徒歩で竹林寺を参拝した人なら北側遍路道がこの牧野植物園の中を通ることは御存知だろう。
そしてそこを通る遍路は入園料が無料で、南ゲート付近にあるトイレ裏の小さな出入り口へと遍路道は繋がっているのだ。
『さて、改装中の南ゲートだが、遍路道の出入り口は使えるのだろうか?』
迷った結果、俺は中門の受付を訊ねてみることにした。
そもそも遍路の格好をしていない俺だ。
俺が「遍路道の研究に来た」と言ったところで「有料です」と言われたり、万が一「南ゲート(遍路出入り口)は使えません」と言われたって、障がい者手帳を提出すれば無料になるのだ。
俺「すみません、南ゲートの遍路道出入り口は今でも出入り出来るのでしょうか?」
窓口の女の子「????」
明らかに話が通じていない風に現在は工事中で中門か正門しか入れないと答える。
俺『この子はきっと遍路の出入り口のことどころか、園内を遍路道が通っていることすら知らないな』
そう思い、俺は早めに話を切り上げて中門から入園することにした。
窓口の女の子「入園料が730円になります」
「あっ、これ…(^-^;」と障がい者手帳を提示してパンフレットをいただき俺は植物園内へと足を踏み入れた。
中門から入園して早速“お馬道”を探して歩くと現在メインで使われている北側遍路道とぶつかった。
俺がネット情報の中から“お馬道”を探し当てたのは結局Google Mapを拡大してのことだった。
“お馬道”という名前すら知らず、道も何処にあるのか知らない段階でGoogle Mapを拡大し探していたところ、牧野植物園で途切れる“お馬道”という文字を発見したのだ。
迷路のような植物園内をGoogle Map片手に方向感覚だけで歩いた(ナビは出来ない)。
因みに牧野植物園のパンフレットにもお馬道は記載されていた。
しかし、植物園内が迷路(ジャングル)であることとは別に更に迷わせるのは竹林寺のある五台山一帯に作られたミニ八十八ヶ所の存在であった。
時々こうして石仏が現れるが、それが遍路道であるかは全く別の話である。
俺は四国霊場を“歩く”ことに魅力を感じるのであって、それをミニった八十八ヶ所や篠栗や知多などに興味は無い!
牧野植物園から外側に行けば行くほど道は険しくなり、ジャングル度も増し、見分けがつき憎くなった。
パンフレットを見ると小川の横をお馬道が走っているが、小川らしきものはあっても水は流れていないし、その対岸に渡る道も見えてこない。
牧野植物園内を徐々に下っていると舟形の丁石が現れ、右上部が欠損しているが“一丁”の文字が目に入った。
欠損している部分に数字が入るかもしれなく竹林寺まで一丁というには少し遠い気もするが、昔は現植物園の場所に竹林寺の脇坊があったようなので、これは恐らく竹林寺を示す遍路石だと判断した。
その先に手印と国分寺を示す遍路石があるが、これが逆打ちの遍路石だとすれば次を示すのは30番札所善楽寺(または安楽寺)であり、国分寺は29番札所である。
四国霊場に順番通り打たないといけないルールは無いが、近くにあるミニ八十八ヶ所の石仏に目をやったところ、この道標は今治にある59番国分寺を示しているようだ。
この指差しに騙されることなく真っ直ぐ突き進むと、
いよいよ牧野植物園の敷地外に出てた。
近くにあった看板を見ると北側遍路道と同じく“遍路なら通り抜け可能”と書いてあり、つまりここは遍路道として扱われているようだ。
ここまでお馬路(道)を間違えず進んできたと判断していいでしょう。
その先は予想に反してなかなか広いアスファルト道が続いていた。
そして左に写る木に貼られた案内を見ると“東参道”と書かれており、ここで確信を持てた俺は母を待たすといけないので時間的にもここで撤退することにした。
地図を見る限りではこの先に3つほど分岐が見えるのでそこを確認したいところであったが、それは今後の課題とする。
因みに“お馬”とはHorseではなくて女性であり、色恋沙汰の話がこの道に由来するようだ。
来た道を戻り駐車場をめざすと、登りの道は一筋で迷うことも無さそうな良い道だと感じた。
植物園内に通るお馬道が植物園用に整備されたものなのか、過去の状態で残るものなのかは分からないが実に遍路道らしかった。
中門から入ることになったので来る時は通らなかったお馬道にはしっかりとお馬道に関する案内看板も存在した。
随分と傷んだ看板には以下の通り書いてある。
お馬路…竹林寺には、大きく東、西、南、北に参詣道があります。この道は、長江からの東参詣道「お馬路」とよばれています。時は安政(1855年頃)、「土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た」で知られる「よさこい節」のモデルとされる純信が、ここ五台山竹林寺の坊(僧の住まい、現在の南園)に住んでいました。長江の鋳掛屋(鍋や釜等を修理する商売)新平の長女・お馬は、洗濯や継ものを手伝うために寺へ出入りしていたところ、純信に見初められたと言われています。「お馬」が通ったこの路は、いつしか「お馬路」と呼ばれるようになりました。さて、平成の時代となって植物園の南園では発掘調査が行われ、この道沿いに鎌倉時代から江戸時代にかけての僧坊と考えられる建物跡や瓦、土器、陶磁器などが発見されました。江戸時代の僧坊跡は純信等が修行をしていた建物跡の可能性もあり、道沿いの石垣は当時の僧坊の名残と考えられています。お馬さんはこの石垣を見ながら純信のもとへ通ったのでしょうか。
帰りは改修工事中と聞いていた南門の様子を見に行きましたが、何事もなく遍路の出入り口を通過することが出来ました。
もしお馬道を通る時はいつも通りこの出入り口を通れば、北側遍路道とお馬道の分岐点を間違えない限り、真っ直ぐ進むお馬道を逸れることは無いでしょう。
念のため南ゲートも確認しましたが、今のところ外国人がぶっ倒れていたことを除いては、特に工事も行われていませんでした。
まだまだ暑さの残る9月に五台山を走り回り、1滴の汗も嫌う俺でありますが、収穫は大きかったと感じます。