都会を歩く犬遍路 区切り遍路39日②からの続きです。
観光地である道後温泉のアーケードを抜け、松山城下の大都会を歩きます。
交通量の多いビルの合間を抜け、松山大学の裏道に入りホッとする。
そこからも歩きにくい道を歩いていると目の前に1台の車が停まっていました。
その車を避けて通ろうとすると運転手が降りてきて「犬と歩いてるんですか?」と。
何処かで俺達を見かけて待っててくれたのか、たまたま持っていたと言う犬のおやつやお茶を頂き、犬達もずっとなでなでしてもらいお別れしました。
やっぱり犬と遍路は目立つのでしょう…、しかも犬もザック背負ってますし。
トボトボと歩き、国道196号線に合流したらいつものローソンで昼食を済ませます。
とてもストレスと感じていることの1つは、犬が増えてからと言うもの昼になっても10km程度しか進んでいないのです…。
1人なら12時には20kmは進むのに、お山さんと歩くと良くて15km、犬とだと10kmくらいでしょうか?
勿論、自炊野宿の寒い時期メインの遍路なので宿遍路さんより1時間以上朝の出発は遅れる訳ですが。
昼食をとりながら今後について話をしていたら、距離的に今日のお風呂は諦めることと(一人なら余裕)、今回は遍路地図の丙ルートで52番札所を目指すことになりました。
新しく歩く丙ルートは住宅地の中を歩きます。
遍路石など見かけないので、正式な遍路道ではないのかもしれません。
新しい道はワクワクするものですが、この道は公園の中を遍路道が通っていました!
香川にもありますが、珍しいですね!
ずっと住宅地の中を歩くと予想通り最後の山を登りました。
途中からは車で何度か通ったことのある裏道で、徒歩だと予想してたより長い坂を登りましたね。
登り切った所にあるゴルフ場の裏道を進むと、
久し振りのアスファルトじゃない道を進みます。
ほんの少しで終わるその道からは、お遍路仲間が野宿した公園が見え「あそこだよ~」と話をする。
お山さんの予定では、この日はこの手前の久万の台と言う街中で野宿してたらしいので、ここも一応の候補でしたが、まだまだ早すぎます。
52番札所の山門が見えてきました。
この付近から遍路石もちょこちょこ見かけます。
山門とは言え、ここからまだ暫く遠く、しかも少し登ります。
お風呂に入れない日の登り坂は汗を掻くから辛い。
52番札所太山寺に着きました。
改めて見るとここの本堂はとて立派ですよね。
確か、鎌倉時代に建てられて国宝になっている本堂。
記憶が正しければ、木製最古の納め札が発見されたのもこのお寺でした。
52番札所を後にして約2km離れた53番札所へ。
俺「しょちゅ(焼酎)が腹いっぺ(いっぱい)飲みたいなぁ!」
お山さん「飲めんくせ!(俺はビールしか飲めなかった)」
隠れキリシタンで有名なお寺でもありますが、先ほどの52番札所とは違って、このお寺では江戸時代の銅製の納め札が見つかっており、遍路と言う文字が入った納め札では最古となっています。
発見したのは外国人の博士と言うのもまた面白いですね。
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さて、今日はこの辺りで野宿を予定しています。
食料を何処で買おうか、予定していた公園はどんな所だろうか?
そんな風に歩いていたら、予定していた店を通り過ぎ、公園もたくさんの人が遊んでいる最中でした。
しょうがないので先を進むことにしました。
松山から今治へ向かう海沿いに出ます。
と、ここで遂に、事件が起きました。
狭い歩道を歩いていると、後ろから自転車に乗った老人が来ました。
俺(犬と退けないと!)
そう思い、その時連れていたカイを引っ張るのですが、この子は引っ張ると逆に反抗する癖がありました。
歩きながら「困った…」ともう一度引っ張った時、カイもこっちに来ようとしたのか柵に頭をぶつけるカイ。
空かさず後ろから怒涛の如く怒りが飛んできます。
俺としては人を優先しようと必死にやったことの結果。
決してわざとやった訳ではないのに。
その一瞬に、
(そもそも犬連れ遍路なんて出来るはずもなく、俺は物凄く迷惑しているんだ!)と、今日すら風呂を諦めないといけないこの子供の御使いのような遍路に、我慢していたことが溢れかえり、ここで大喧嘩となりました。
こんな遊びのような犬の散歩をやってられるか!と「帰るわ」と松山方面に帰る俺。
謝りもせず何故か今治方面へ歩き出すお山さん。
こうなってしまうと病的に頑固で意地の強いお山さんの収集はつきません。
スマホを見ると1回だけお山さんから着信が入っていますが、海沿いで交通量も多く、風も強い中、着信音など気づきませんでした。
すぐにお山さんの心理がわかります。
お山さん(私は1度電話した、と言い訳が出来る)
俺からすれば、謝りたいなら何度でも電話を掛けることが筋です。
掛けなおすと当たり前ですが着信音が聞こえるはずもなく出ませんが、俺にはそれが理解できます。
今治方面へ歩き、彼方遠くを歩くお山さんを何度も呼ぶ。
そして追いつき尋ねる。
俺「野宿装備も持たないあなたがそっちに進んでどうするつもりなの?」
お山さん「戻って来てくれると思ってた」
俺「じゃあ、戻って来なかったらどうするの?甘えてない?俺はあなたと限界に来てるんだよ?」
そう伝え、
俺「いや、やっぱ喧嘩を続けてはいけないから、俺がここで抑えて折れるわ」と強引に気持ちを抑えつけ今治方面へ歩き出しました。
こうでもしないとお山さんが収まることはまず有り得ないし、貴重な旅の最中にすることではない。
最近始めたお金の節約から学んだのは、お金も時間も浪費に使ってはいけないこと。
「不幸の連鎖を断とう」と伝え、しかし俺も収まらない怒りから、犬を2匹ともお山さんが連れたまま歩き出しました。
人生の多くを失敗で生きてきた俺には、この世の仕組みがボンヤリと見えてきています。
原因あって、結果があり、無かったことにしようとしても、結果がなくなることはありません。
「不幸の連鎖は出来るだけ早い段階で断たないと駄目だよ!」
人生を逃げ続けて、牢屋と精神病院まで行き着いた経験によりお山さんにはそれを強く教えるのですが、彼女に欠けているのは感情のコントロールよりも、そのブレーキの故障。
俺にはこの時まだ不幸の連鎖が続いていることはわかっていたのですが、
今は無き懐かしい建物の撮影をして、カメラを胸にロックしたはずなのに、
スローモーションで地面へ落ちていく一眼レフ…。
慌てて手を伸ばし、足を出すが間に合わず地面に落ち、レンズと本体がバラバラになってしまう。
俺「ほら…、言っただしょ…、不幸は連鎖するから、断とうって」
松山へ向かって歩く俺と、逆方向の今治へ向かって歩くお山さんを再び一緒にしたのは俺の我慢によってのこと。
しかし、この時まだお山さんはイライラを抑えきれず、俺と同じ段階までは行動が出来ていなかった。
レンズとカメラ本体のつなぎ目が破損していて、繋げても今にも落ちそうな状態になっていた。
結局、旅から帰って修理に出し、21000円かかって修理した訳だが…、
コンビニに入りビニールテープを探すが売っていなく、やっと見つけたホームセンターに飛び込む。
その際、
俺「先行ってていいよ」(粋がるなら一人で歩いて見ろよ)
そう言ってホームセンターで買い物済ませ外に戻ると、そこにまだ座っているから、
俺「カメラ修理してから行くから先行ってて」(一人で遍路してみろ!)
それでも動こうとしないお山さんに、分かっていながら何度も「先に行け」と意地悪を言う。
予定より大分歩き、既に17時を超え疲労も溜まってきたのに、喧嘩とカメラが壊れるというショック。
俺「先行ってて…」
お山さん「道が分からないから…」
俺「今治までは海沿いの一本道だからそこ真っ直ぐ行けば着くよ。迷うことは無い。」
それでも動かないから「着いてこないでね、地図あるでしょ?」と言い残し逆方向に歩き、わき道から今治を目指した。
暫く歩き後ろを振り返ると、
お山さん(チラッ)
かなり後ろから顔だけこっちを覗き込み着いてくるお山さん。
ここは遍路道でもない裏道なのに、ずっと着いてくる。
俺はペースを速める。
辺りはもう真っ暗。
俺(何でコイツらの為にあんなことまで言われて俺が風呂を我慢続けないといけないんだ)
そう思い「着いてこれるなら着いて来いよ」とばかりにペースを上げ風呂を目指す俺。
普段からお山さんが「出来ない!」と思い込み力をセーブしていることは知っているんだ。
真っ暗な裏路地の迷路でお山さんを振り切り、俺は今後の食料を買いにドラッグストアへ入った。
買い足しておかなければ今日、明日の今治までの食料が無い。
ザックに収納されていく食料。
米2kg。
水2ℓ。
はい、もういっちょ2ℓ。(2人と2匹なんだ!)
そして、
尽きた犬の餌、2.7kg。
合計8.7kg増加したザックは30kgほどにはなっただろうか?
追加した分だけで普通の遍路の重量を超えるだろう。
そして、ちゃっかり俺のザックの所にいるお山さん。
約9kg増加した俺はますます歩くペースを上げ、「着いてこれるなら着いて来てみろ!俺は風呂へ行くんだ!」と歩き出す。
そして19時前の真っ暗な中、辿り着いたシーパマコトと言う温泉宿。
本日はこの近くの浜辺でテントを張り、いつものように先にお風呂に行くお山さんと調理をする俺に分かれた。
温泉の近くで眠れると「気にせずゆっくり入って来てね」と言えるのがいい。
この旅では毎日お山さんはゆっくりと温泉で休めたようだ。
数々の失敗を生きてきた俺から1つアドバイス出来るとしたら、
許すこと前提に出来る喧嘩があることを知って欲しいと思う。
喧嘩からも学べることはあって、その殆んどは自己反省なのだけど、人は相手が悪いと思い込みたいようだ。
人と話していて、普通を普通と思い込み、信じて疑わないから、物事の根本から既に間違っていると思わされることが多い。
例えば、責任=嫌なものと思い込んでいるが、俺にとって責任は選択肢の多さで自由への扉と言うポジティブなもの。
責任と聞けば罰のような先取り不安と言う自動思考に陥っているが、よく考えてみたら選択肢を得る(自由)から責任が発生しており、その結果(皆が責任と思い込んでるもの)が成功なのか失敗なのかによって取る行動が変わってくるだけのこと。
そもそも何故、失敗前提で考えているのか?と問いたくなる。
喧嘩も同じく、お互い(の関係)を破壊するものではなく、経験を生かすためにあると思う。
だからその最中、絶対に投げやりや、逃げ癖を出さずに、今の状況が何を伝えようとしているのか冷静に考え、
決してネガティブに、しかも、相手の逃げ道を全て塞ぐような破壊的な喧嘩はしてはいけない。
言っていいことと悪いことがあり、どんなに否認しようが、この世には取り返しのつかないことと言うのがあることを肝に銘じ、ブレーキを掛けながら言葉を選ぶ。
相手の表面ではなく、心理を読み解き、許すこと前提で喧嘩をしよう。
俺が買った米にも水にも、もちろんお山さんの分も入っているし、暗い道でも俺を見失わないようにヘッドランプをワザと大きく動かしながら歩いたり、
ある意味、喧嘩も楽しんで出来るようになるといいな。