焼坂峠を下り、添えみみずを目指す 区切り遍路21日目②からの続きです。
俺は2回目でビーニャは初めてとなる添えみみず遍路道に挑みます。
この添えみみず遍路道の歴史は長いようですね。
つまり、本物の遍路道ってことね。
ギュっと登り始めてすぐに例の高速道路が見えます。
高速道路を通すために切り裂かれた向かいの山に登るために、その高速道路を避けるように、まずは階段をいっぱい下らされ、
高速道路下を潜り抜け、
下った以上に登らされます。
上に小さく遍路小屋が見えます。
昼食予定の場所ですが、早く着きすぎたので昼食は後回しとします。
最初は階段の角度もやさしかったけど、先ほど見えた遍路小屋を過ぎた辺りからあまりにも残酷な壁の様な階段が始まります。
元の遍路道はどんなのだったのだろう?
1人で歩いた時に聞いた話によると、ここはいい遍路道だったようですね。
残念ながら俺が歩いた時には既にこの状態となっておりました。
鯖さんが四国各地のズタズタに切り裂かれた遍路道を嘆いていらっしゃったのを思い出します。
添えみみず遍路道も通る人が少ないのかちょっと荒れた感じでした。
写真では何処が遍路道かわかりませんが、実際に歩いて道に迷うことは無いです。
確かに七子峠越えのもう一つの選択肢となる大坂ルートの方が、アスファルト道をずっと進んだ先の一気な登りで終わりなので楽と言えば楽です。
添えみみずはずっと山道をくねくねと登ってる感じです。
標高300メートル弱の七子峠を目指す道は大きく3ルートあります。
トンネルが多い約6kmのアスファルト道の久礼坂国道ルート。
一度、標高400メートルまで上がった後に下って七子峠へ向かう添えみみずルート。
アスファルト道をずっと進んだ後に標高80メートルから一気に300メートル弱の七子峠に登る大坂ルート。
距離はどれもそう変わらないようです。
焼坂峠と同じように大きな石がゴロゴロ転がっていて、しかも結構な登りです。
今日は焼坂峠と添えみみず遍路道を歩きながら、四国八十八ヶ所と言う遺産に対する最大の貢献とは“遍路道を歩く”ことなのではないかと感じさせられました。
歩く人がいればその一歩一歩が道となります。
踏まれた小枝や落ち葉が砕かれ、次の人の道標となります。
しかし、歩く人が少なくなれば荒れ果ててしまう。
そして、いつの間にか自然に返ったり、色んな事情により破壊されてしまいます。
だからまずは歩くこと。
添えみみずは大変な遍路道でした。
後ろからビーニャさんも必死に歩いてきます。
ある程度下ってくると優しい遍路道になりました。
歩くのが2回目となる添えみみず遍路道も、実は本の少しの部分的にしか記憶に残っていませんでした。
実は1回目の添えみみず遍路道は、ずっと後ろを付いてくるおじさんに、当時ひきこもりから出てきたばかりの俺の太った体型の事をずっと言われながら必死に歩くだけしか出来なかった思い出があります。
俺がジュースを買おうとすると「0カロリー!」と後ろから何度も叫ぶ嫌な人で、「息子が統合失調症で、その原因は俺にあると息子から言いがかりを受けている」と嘆いていましたが、こんな風に人の生理的な部分をずっと言われ続けたら息子もおかしくなると言うことを何故気付かないのかとても疑問でした。
そんな嫌な思い出の場所でしたが、今日は夫婦で「ひぃひぃ」言いながら何とかクリアすることが出来ました。
長かった添えみみず遍路道も車道が見えたことにより『ホッ』とします。
車の音も遠くに聞こえますが、うっすら残っていた記憶よりも結構大変な遍路道でした。
それは当たり前の話で前回の荷物の重さは推定4kg…、今じゃその5倍以上背負ってる訳です。
最初のあの高速道路迂回の階段でやられた感じで、既にその前に焼坂峠でかなり体力消耗してます。
目標の七子峠に到着しました。
「0カロリー!0カロリー!」の自販機が右に写ってます。
あの時、必死に添えみみずを登りきり、初めて目にしたジュースの自動販売機に駆け寄って言われたこの言葉の心中を察するのは簡単だと思います。
それにしても、この先の道の駅あぐり窪川でも太っていることを別の人に言われたけど、当時は相当太っていたのでしょうね。
80kg程度だったと記憶しておりますが…。
夫婦で歩いた前回の通し打ち遍路の時に野宿したポイントで遅い昼食を食べます。
ここまで背負ってきた水でお湯を沸かし、カップ麺とおにぎりを食べました。
眼下にはもう一つの遍路道である大坂ルートと、まだ新しい高速道路が見えます。
とても懐かしい景色を眺めていると、ちょうど「ぜぇぜぇ」と大坂ルートで登ってきた青年と少し話しました。
電車やバスを取り入れた遍路をしてるようで、今日は久礼の町まで電車で来たそうです。
皆さん、遍路に来る理由はそれぞれだと思いますが、こんな壮大な旅をする理由がとても気になりますね。
遍路の魅力、凄いですね。