上大道休憩所で休憩します。
ここは野宿も認められていたと思うのですが、水道も🌋お山さん🌋の立っている位置に2ヶ所あるので、昨日洗えなかった食器を洗わせて頂きます。
先月だったかビタクラフトの鉄のフライパンを買って以来、調理器具に対する視点が変わって、あまり食器洗い洗剤を使わなくなりました。
「油は完ぺきに落とす」と言うことに何も疑いを持たず、いつの間にか当然のことと思わせていたCMなど時代の恐ろしさを感じています。
よく考えたら車のワックスなど、人間の皮膚だって、革製品の手入れだってある程度の油分は必要ですよね。
今回の旅からスポンジ持参の水洗いオンリーとなり荷物も軽量化になりましたし、今まで濡れてビニール袋の中でべちょべちょになったスポンジと洗剤を持ち歩いていたので、その気持ち悪さからも解放されました。
スロー遍路になってから休憩中にもコーヒーを沸かして飲みます。
急ぎたくても足を引っ張る1人と2匹がいるし、ドラクエみたいに増えてしまった同行者の影響や、増えてしまった荷物の重さもあるのでもう諦めました。
と言っても昔は何であんなに急いでいたのか。
本当にスロー遍路って良いもので、冷静に考えてみれば事情は色々あるでしょうが、早く終わる旅と長く続く旅では、長く出来る旅の方が内容も濃く良い旅になりそうですよね。
休憩を終えてすぐに徳右衛門の遍路石。
この人の遍路石は殆んど上部に大師像が彫られているので分かりやすいです。
中務茂兵衛、武田徳右衛門、真念が遍路石では有名ですよね。
「これより 左り くわんしさいへ 壱里半」と彫られております。
みゃんだみゃんだくわんしさいはとうおいんでうすうえ。
てくてくと歩いていると近所のおっちゃんに呼び止められました。
そして「ちょっと待っといて」と犬のおやつを取りに戻って沢山食べさせて貰った上に、生みたての卵を食べさせて貰うカイとクウ。
がっつき方が凄まじかった。
過酷な旅なのでこういう栄養補給が本当に嬉しいです。
そしてバター飴と俺達にも生卵を4個「これ食べて」とくれました。
🌋お山さん🌋「私たちにしか取り扱えないお接待だね」
俺も一瞬生卵をどう持ち歩くか頭が真っ白になりましたが、早めに茹でようということで解決しました。
確かに割れやすい生卵だし、調理もしないといけないし、普通の遍路が貰うと凄く困りそう。
しかし卵大好きな🌋お山さん🌋なのでとても喜んでいました。
🌋お山さん🌋「明日の朝ご飯は卵ご飯にしよう!」
俺(作るの俺やけどな・・、洗うのめんどくさそう)
🌋お山さん🌋「私、こんな生活がしてみたい!ねぇ、四国に住んで鶏飼おうよ!」
俺(お前が働けばいつでも引っ越ししていいけど・・・、本当に宮崎が苦痛だし)
おっちゃんと色々話をしました。
このおっちゃんは手広く事業をしていたらしく市議もされたそうです。
今は息子に譲って、こうして無農薬で野菜を育てたり、それを食べさせた鶏を飼育したり、
そしてこの辺りで誰もが目にする茶色い道しるべをあちこち設置して遍路を案内したりと有難い活動を現在もされているそうです。
おっちゃん「ここに泊まっていく人もいるんよ」
いっぷく堂と言う小屋を指さし教えてくれました。
名刺を頂いて「困ったら電話して。いろんな人知ってるから力になれるよ」と。
打ち戻りにもしかしたらお世話になるかもと伝えて別れましたが、俺はここで貰ったバター飴に救われることを、この時はまだ「俺はバター飴は食べない」と知らない俺でした。
町が近づくと遍路石が二基あります。
橋の左に徳右衛門遍路石「これより くわんしさいへ 一里」
橋の右に自然石の遍路石。
素通りしちゃダメ。
進行方向とは違うけど、橋の先に石碑がいっぱいあります。
4面に薬師如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来だっけ?
何かよく分からないけど、とりあえず大興奮でした。
川に突き当たるとあとは退屈な堤防遍路。
実は俺は堤防を歩くのが嫌いです。
その理由は犬の散歩コースになりやすい堤防なので「クンクン」が多すぎて一向に前に進みません。
長い堤防を進むと今回の旅の重要ポイントである愛媛県愛南町のFUFIが見えたので、その目の前の堤防で昼休憩です。
写真は撮り忘れたけどここにも「平城へ二十二丁」と書かれた遍路石。
何故ここに遍路石が?と思ったけど、その理由は後に知ることとなります。
ここで遅い昼食を済ませます。
今回、旅の計画時点からここのFUJIで物資の買い込みと近くのコインランドリーで洗濯を予定していました。
今から観自在寺を打ち、そこから篠山道へ進む我々は約3日間(遭難による予備日を含め)洗濯や物資の調達が確実ではありません。
だから犬の餌や米を買うことを予定していたが、米は宇和島の街までどうにか持ちそうだったので、
ここでは「1,2kgさんこんにちは」のみとなった。
コインランドリーも今日は少し歩く距離を延ばして遍路道から外れ、一本松温泉へ向かうので、その近くで済ませることとなった。
あれほど積み込んでいた食料もその後不足することをこの時は知らなかった。
もし、米を追加していたとしても俺は荷物の重さで篠山を登りきれたかわからない。
米残り11合 1,65kg
最初は重かった米も徐々に軽くなっていく。
つまりは最初から0㎏なんや。
うん、そうなんや。