街中に残る遍路石 区切り遍路39日目①からの続きです。
49番札所から急に都会になり、歩きにくく交通量の多い歩道も無い道を歩きます。
少し我慢して歩くと細い小道に分かれ、そこからは墓地の中を通ったり歩きやすい道に入りました。
この付近はお寺の密集地なのですが、次の50番札所はちょっと登った丘の上にあります。
50番札所、繁多寺に到着しました。
広い境内のお寺で、ここからは松山市街を見渡すことが出来ます。
まずは突き当りの本堂と大師堂をお参りして、
境内から松山市を眺めます。
松山市で宿泊する遍路も多いので、ここは夕方に来る印象のお寺ですが、今日はまだ昼前です。
夕日じゃないこの風景が少し珍しいです。
繁多寺を後にして住宅地を歩くと、遂に道後の街にある51番札所石手寺に到着。
ここは観光地である道後温泉近くにあり、四国八十八ヵ所の中でもとても賑わうお寺で観光客も多いです。
入口には衛門三郎さんと、寺の由来となった石の模型。
伊予の国主の家に生まれた衛門三郎の生まれ変わりが手を握ったままずっと開かなかったのでこの寺で祈祷したところ、衛門三郎(再来?)と書かれた石がその手から出てきたという話で、このお寺は石手寺と名前を変えました。
衛門三郎が12番札所焼山寺中腹にある杖杉庵で亡くなる前に、空海に願った生まれかわりの話が愛媛のこの地に繋がります。
生まれ変わった衛門三郎さんはどんな人生を生きたのでしょう?
「俺も今世より来世は…」と自分の輪廻転生を重ね、強く生き抜く決意を固めます。
お山さん「ねぇ…、焼きもち食べたいなぁ…」
俺「食えよ」
あまり食に興味の無い俺なので、ラーメンと肉さえあれば良く、色んな食べ物に興味を持つ人達を不思議に思います。
お山さんは普通の焼きもちとよもぎ餅を食べてました。
意外にも観光客少なめの石手寺境内。
一番意外だったのは「戦争反対」とか「平和」とか普段はあれこれ飾っているものの多い石手寺なのに、ロシアがウクライナに侵攻して数日の境内には何もありませんでした。
この旅の最中ずっとウクライナのことが気になっていた俺は、結局旅の出発の日記も書けないまま四国に入り、この石手寺の様子次第で戦争に対する思いと石手寺にいる自分を書こうと思っていました。
これを書いている今は旅から1か月後になり戦争もまだ続いておりますが、本当にこの旅は心ここにあらずな旅を結局最後までやってしまったのでした。
石手寺から境内の中の遍路道を歩き山を越え、道後温泉まで下ってきました。
俺「あれ?工事中だ」
何の工事をしているのでしょう?
俺「記念に犬と写真撮ろうか、そこに立って」
お山さん「うん」
と言って何故か交差点を渡り始めるお山さん。
ポカーンと口が開いたまま赤信号に取り残される俺。
俺「おい、なんでそっちに渡ったんだ?」
そして撮った写真には3枚とも目を閉じてるお山さんしか写っていなかったのでした。
この子達との旅の思い出もたくさん残しとかないと、俺達よりずっと短い命だ。
心の中に一生の宝物を残そう。
道後温泉本館の入口の方は完全に壁になっており、いつもの姿の見る影もありません。
何も珍しくないので、逆にこの姿が珍しいのですが、観光客もガッカリでしょうか?
でも奥さん、一番のガッカリはこの温泉の中にありますからね!
さて、道後と言えば有名な観光地ですよね。
意外かもしれませんが、この道後のアーケード街が遍路道なのです。
つまりは観光客のいるなか、大きい荷物と、それなりに大きい犬2匹を連れた明らかに浮いてる2人がこの道を通るわけです。
これが朝からずっと引っ掛かってたウンザリなのです。
目を合わせないように、そして人間大好きなクウが人ごみの中、人に飛び掛からないように神経使って切り抜けます。
本当にこの子、飛んで行くんですよ。
それが分かっているのでリードも短く持っているのですが、力も強いのです。
保護犬なので、どんな育て方されたのかわかりませんが、躾はもう諦めてます。
道後温泉のアーケードを出た所にも遍路石。
〇〇寺道と書かれた遍路石が特に好きなんです。
その先には数年前に出来た道後温泉その2の座を狙う何とかの湯です。
知りませんし、興味もございません。
さぁ、ここからが本番、松山城下のビルの中を歩きますよ。
ウンザリですよ!