歴史を感じる遍路石の表現 区切り遍路41日目③からの続きです。
12時も過ぎ、標高約300mの58番札所仙遊寺へ登る途中の東屋で昼食をとります。
昼食はカップラーメンが便利ですね。
お腹はまぁまぁ満たせるし、美味しいし、そこまでゴミが大きくなりせん。
我が家の遍路スタイルは完全野宿とほぼ自炊なので、大きなゴミとなるプラスチック容器の弁当は極力避けます。
数日間ゴミが捨てられないことも大いにあり、思っているよりゴミってあっという間に量が増えてしまうものなので非常に悩む問題でもあります。
カップラーメンのデメリットは水が必要となり、お湯を沸かす道具も必要となるので、重さは増し、荷物の大きさも増えるのでデメリットも大きいです。
とにかく遍路は大量のエネルギーを必要としますので、俺は「出来るだけお腹いっぱい食べれる環境が欲しい」と考えた結果、米や自炊装備を持ち歩く選択肢となったわけです。
荷物の重さはある程度を超えるとそこまで感じなくなるし、ザックの質次第で大分楽できます。
普通に旅の途中で約9kg食料を追加したり出来ます。
愛用しているのはモンベルトレッキングパック55ですが既に廃版なのか、リンク先も微妙な店舗しか見当たらないのでここ案内は控えておきます。
さて、カップ麺+お菓子を沢山食べてお腹も満たしたら、登りましょうか。
今までは車道でアスファルトの登りでしたが、ここから先はアスファルトを離れた遍路道です。
とは言え、短い区間岩場の階段を一気に登るイメージです。
横には水が流れ、石仏や、加持水が途中にあったり、車を山門前に停めて歩いて上る人も見かけるけど遍路道を歩きたいのか、駐車場代の節約なのか、いずれにしても遍路を感じれる道です。
息を切らしながら登ると、突然境内に辿り着きます。
それだけ急こう配の階段を、頭上に大きな宿坊を見ながら登ります。
仙遊寺の宿坊はわりと人気で、野宿遍路が泊めてもらう通夜堂も人気ですね。
俺も一人で歩いた時はここの宿坊に泊まり、翌朝のお勤めで陰口有難いお言葉をいただきました。
本当にこのお寺とは何かと縁があって、無料配布であるはずの記念散華を「違うだろ!」と何度も言うのに正月早々有料で買わせていただいたり、
納経所で「小綺麗な格好をしているから車で来たでしょ!駐車場代を納めなさい」と隠しても溢れてしまう上品なオーラに気付いていただき金銭を強制的に請求されたり、
来るたびに何かと思い出を作らさせて頂く有難いお寺で、先ほどの57番札所同様に本堂の唐破風が四国1お気に入りの本堂で御座いましたが、今となってはこの溢れる上品さに気付かれると大変お困りに御座いますので早めに御暇(おいとま)いたしまして御座いますでさよおなら。
いやね、ずっと後ろで恒例の「ボソボソ」してるんですよ。
後ろ「ったく、このお寺は…ボソボソ」
足早に、そして見つからないように昼食を食べた東屋まで下ってくると、その先からアスファルトを離れ森の遍路道へ進みます。
ここにも綺麗な遍路石さん、こんにちわ。
今治は街なのでアスファルトメインの道ですが、こうしてちょこちょこ土の道があるのが嬉しいですね。
札所が多いことを喜ぶ方もいらっしゃいますが、我が家にとって札所は殆んど重要でありません。
歩きやすい道を進むと急な下り坂の手前に看板があり、昔話が書いてあります。
早え話、仙遊寺の太鼓の音が海まで届いでうるさいからそれに怒った五郎兵衛が刃物でその太鼓を破った。
その際、五郎兵衛は寺の仏様にも暴言を吐いたそうだ。
五郎兵衛はその帰り道にこの下り坂で滑ってお亡くなりになったそうな。
暴言はいかんて。
もっとお綺麗なお言葉を御使いにおなりにござります。
俺みたいに。
不悪口(乱暴な言葉を使わない)ですよ、ふぁっく。
その先に遍路石さん、こんにちわ。
嬉しくて飛び寄る。
(お前、何kgのザック背負って飛び寄ってんだ?)って思ったそこのあなたは間違いなく常連さん。
因みに計ってません^^
遠くから見ても明らかに珍しい遍路石をマジマジと観察する。
「上 佐禮山道 下 國分寺道」
俺「うん、間違いなく滑って転ぶ瞬間の五郎兵衛だ。踊っとる。」
岩肌が見えるような、そんな滑る下り坂を進み、今治市街を眺めます。
素晴らしい景色ですね。
1人で歩いた時はまだ夜明け前だったので夜景が綺麗に見えました。
っと、ここで先ほど少しだけ触れた”お勤めで陰口有難いお言葉”の正体が現れました!
この日、別格10番と11番含めて、小松の宿まで歩かないといけなかった俺は、宿坊の人に「朝のお勤めを出れないけど大丈夫でしょうか?」と聞き、前日の夜に住職のお墨付きを貰って早朝に出発していたのです。
その頃、俺は37番札所辺りから同じペースになった遍路仲間たちと歩いており、その仲間達から翌朝のお勤めで”俺に対する有難いお言葉”があったと後に聞かされた訳です。
宗教家とそうでない人の考え方次第のお話ですが、当時の俺は「えっ?宿泊費払ってるのに何でお勤め強制なの?しかも別格行くのに何で?修行が何たら言うなら、歩けば?」と理解できませんでした。
それは今でも変わっておりましぇん。
じぇんじぇんかわってません。
因みに、ここはお勤めが大好評のお寺さんですよ^^
あーあ、俺もでればよぉかったなぁ。
そんなおいらですが、新名所”あだち兵衛坂”を作らず済みそうなので良かったです。
不悪口ですよ。ふぁっく。
山の中腹辺りでしょうか、これまた立派な遍路石に感激します。
右の大きな遍路石には「日本三霊場 四国番外霊場 智慧文殊尊道」(慧であっているかわかりません)
左は「へんろ道」
どちらに進もうか迷ったけど、両方の遍路石の真ん中に「本来の遍路道は左」と案内があったのと、右の道がほんの少し荒れて見えたので左を選択しました。
後で後悔することになるのですが、俺は3度とも同じ道を選ぶと言うミスをしてしまいました…。
ここ数回の旅は計画に殆んど関与せず、お山さんに計画を任せております。
いつも何もかも俺の後に付いてくることをやめて欲しい意味と、最近の体調不良もあってのことですが、
今まで事前に調べていたことすら手に付かなくなり、後で振り返ると見落としが非常に増えて後悔が残っています。
だからと言って「もう一周歩け」とか言うなよ?
山を下った集落に遍路石。
ここで地図を開くと、歩いたことの無い道(先ほどの文殊尊道)があることに今更気づき、「歩きたい」と言うお山さんの希望もあり、急きょ道を変更する。
とは言え先ほどの分岐点から結構歩いて下ってきた後で、今から進行方向を変更して文殊尊道に合流を目指すだけです。
「なるほど…そうだったのか…」と今更先ほどの遍路石の意味を理解し、只々後悔した。
番外札所竹林寺の本尊は文殊菩薩。
つまりは先ほどの遍路石「智慧文殊尊道」は竹林寺を意味していたのだ。
車道をまぁまぁな距離歩き文殊尊道に合流したが、時既に遅し、ただのアスファルト道。
目の前の山の中腹に番外札所竹林寺を確認して「登ろうか?」と暫く話し合ったけど、今日は風呂までまだ遠いことと、文殊尊道をちゃんと歩いてこなかったこと、
坂道を登りたくない本音を隠すお山さんもあって、今回は番外札所竹林寺を諦め、このまま文殊尊道経由の59番札所への歩いたことない道を進みます。
新しい道はワクワク!遍路石を探しながら歩きますよ。