油断した文殊尊道と大好きなお寺 区切り遍路41日目④からの続きです。
番外札所竹林寺への参拝は次回に回し、59番札所国分寺を目指します。
それにしても文殊尊道を選ばなかったとはすっかり油断してました。
ここ最近の遍路は相方に計画を任せているので俺は殆んど関わらないことにしています。
いつもなら情報をしっかりと調べてレアな道を選択するようにしていますが、こうして彼女に任せてからの旅の記録を書きながらざっと思い出すだけでも、窓坂、旧57番札所石清水八幡宮(勝岡八幡宮とも)、文殊尊道と立て続けに見落としが発生しておりますね。
もっと四国を回れってことでしょうか?
さて、ここから先は今回歩いた59番札所への道のことを引き続き”文殊尊道”と呼ぶことにします。
既に今治の番外札所である竹林寺(文殊菩薩)は通り過ぎましたが、こう呼ぶのもいいでしょう。
一般的な国分寺への道は58番札所から五郎兵衛坂を転がり落ち、そのまま北東に約4km転がり、そこから南東に約2km転がる”国分寺道”と遍路石に書かれた道を進みます。
今回我々が進む文殊尊道はその全く逆の南東に進み、北東に進むパターンで、どちらも距離に大きな差はありません。
残念ながら途中参加の文殊尊道となりましたが、特に変化も無いアスファルトの道ですね。
地図片手に進みますが、道標も少なく、カクカクと曲がる場所もあって少し注意が必要な道でありました。
人気の遍路地図を見る限りではこの先に2ヶ所と少し逸れた1ヶ所の遍路石が確認できるそうです。
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逆に一般的な国分寺道では、上に”少し逸れた1ヶ所”と表現した遍路石と関連物(おそらく大師堂)の2ヶ所しか確認できませんので、竹林寺の存在といい、遍路石といい、五郎兵衛坂の分かれ道にあった「こっち(国分寺道)が本当の遍路道」と言う看板には疑問が残るところであります。
えひめの記憶にはまだ沢山の文殊尊道にある遍路石の存在が記載されております。
その一つ目の遍路石を慎重に探しながら歩き発見しました。
その手前で、地図片手に遍路石を探す我々を心配して家から出て来てくれたおっちゃんがいました。
おっちゃん「ここをこう行ったら、あれがあるから、それをそっち進めば国分寺だよ」
俺「あっ、ありがとうございます!ところでこの辺にある遍路石を探してるのですが」
おっちゃん「ああ、どっかで見た気がするけど思い出せないや」
その1つ先の角を曲がって見つけたこの遍路石。
変わった遍路をしている俺に道を教える側も大変です。
親切に”次の寺”を教えてくれる地元の人と、過去の遺物(道)を探す遍路オタク。
俺の求めているものは地元の人でも知る人は少ない。
「👈五十九番 👉文殊尊道」
その先にあるはずの2つに折れた遍路石は確認できないまま進み、国分寺道と交差してからの道を100mほど引き返した所にあった真念遍路石。
俺「おおぅ!まさかの真念遍路石やん!!」
遍路石が見たいけど風呂に急ぎ、引き返したくない俺に「せっかくだから行こうよ」と言うお山さん。
その甲斐あっての真念遍路石でした。
国分寺の麓に今治領を示す国境標。
字が汚いのは置いといて、歴史が好きな俺はこの類が大好きであります。
そして辿り着いた59番札所国分寺。
見ての通り本尊は俺の大好きな瑠璃ちゃんです。
一応念のために申し上げると、俺の写真にはこの犬がよく写りますが、ワザワザ入れているわけではありません。
道が分からないくせに、いつも先頭を歩いていないと気が済まない犬種もいるのでしょう。
そんな引っ張り癖のある好奇心旺盛のこの子を連れて歩くのはストレスを感じるもので、だからこそ”いつも”俺が連れている訳なんです。
この意味わかりますよね?
引っ張り癖は置いといて、本当にこの子は愛嬌があって可愛いです。
顔が怖く見えるのか、子供からすると100%怖がられます。
59番札所と言えば握手大師さんと薬師の壺。
この大師さんを見るたびに頭の中では龍馬伝の「しぇぃくはんどぜよぉぉおぉ!」が響いてますが、皆さんご存じのとおり色んな表現がうまくできない俺ですので、楽しいのは頭の中だけで、周りから見れば無表情の東南アジア系顔がそこに立っているだけとなります。(注 本人は凄く楽しんでいる場合が多いです)
これまた皆さんご存じの通り、精神疾患により長く苦しみ遍路に癒しを求めた俺ですので、胸(心)を撫でながら何度も触った各寺院の癒し系も、
今となってはじぇんじぇんしゃわりもしましぇん。
腕時計を確認すると時間は既に15時過ぎ!
寺の参拝より風呂ですよ!風呂!
目指す風呂はここからまだ5kmほどはあり、しかも丘の上で行ったことすらない。
途中に食料調達もしないといけないし、何より風呂の近くで野宿が出来るのかすらわからない不安な状態です。
国分寺をさっさと後にして西条市へ向かって南下します。
いよいよ石鎚山の麓、これまた大好きな街にワクワクします。(注 頭の中は)
国分寺を出て少し歩くと果物屋さんが目に入りました。
俺には大好物の甚平と言うミカンがあるので、いつも通り重さ気にせずkg単位で袋ごと買います。
何度も言いますが、荷物の重さなんてあるラインを超えたら増えても変わらず、しかもそのラインは意外と軽いものです。
某有名暴走族漫画にもあった”スピードの向こう側”ならぬ”背負う荷物の向こう側”を是非とも皆さんに体験してもらいたく、必要以上に重さを恐れないで欲しいです。
遍路の世界には”歩き続けた向こう側”もあるし、”回り続けた向こう側”もあるでしょう。(四国病)
甚平を食べながら、少し逸れた唯一のコンビニで今後の食料を購入します。
遠回りがめんどくさく、店まで最短距離の畑を切り抜ける俺に驚いた地元のおばちゃんに、
おばちゃん「びっくりしたぁ!その犬はレスキュー犬ですか!?」
俺「違いますよ!」
と、暫く話し込み、地元の人との触れ合いを改めて大切だと感じました。
我が家の犬は大きいし、オレンジ色のザックを背負っているのでレスキュー犬に見えたのでしょうね。(因みに賢くないですよぉ)
日も傾きだし、行ったことの無い野宿候補地まで地図片手で進んでいると、どうもおかしい。
山の上の温泉に行くはずがいつになっても登る気配がない。
改めて地図を見ると、どうやら細い登り口を見落とし、海側に歩いていたようです。
海側にも野宿候補地としてキャンプ場はあるのですが風呂がありませんので、少し引き返し坂道を上ると高台には公園や運動場など、とても広大な施設に温泉か2ヶ所ほどありました。
野宿に恵まれた選択肢の多い中から、野宿予定地とは違う”とある場所”にこっそりテントを張り、本日の寝床にホッとします。
いつも通り夕食の支度をしたり、交代で俺の大好きな”ビア”温泉に入ったり、一日の疲れを癒しました。
犬達も完全に旅に慣れたようです。
今となっては「早くテントを張って!」と鳴いて急かし、テントを張り終える前からテントに潜り込もうとします。
その後は外に出ることもなく、翌朝まで取れる限りの睡眠をとります。
この夜、俺は今治の高台にいる自分を天から見下ろし、今治の夜景に向かって必死にその時の気持ちを歌っていました。
何故でしょう、遍路をしていると”特に”妄想が膨らみ続ける。
病気でしょうか?
いえ、それは過酷とストレスに対する正常な反応です。