3巡目

夜昼峠スタート

旧川ノ内小学校跡の裏を急激に登り始めました。

“それはそれは”という程の登り坂にビックリしながら進みます。

結論から先に書くと、前日に遍路道保存協力会の方達が道標を残しながら夜昼峠の調査したのですが、迷った(悩んだ)と思われる場所が各所で感じられ、ほんのちょっと難易度を感じました。

遍路をしている時の俺は古い道筋を読みながら歩いているのですが、『ここ』と感じる所の入り口に遍路シールが無く、結局その出口付近には道標がぶら下げられているような、

『ここは遍路道だろうか?』と入ってみて『やっぱりそうだった』と途中で札をぶら下げたような場所がいくつかありました。

これは登りに関しての話ですが、下りになると別の意味で間違える可能性があり、それはまた後日に書いてみようと思います。

いずれにしても、夜昼峠を歩きながら残念に感じてしまったのは結局、整備される前に歩いてみたかったということです。

遍路道を想像しながら、そして読みながら歩いていると『自力で夜昼峠を越えてみたかったな…』と、その達成感を失った気持ちが自然と沸き上がって来たのでした。

ほんの少しだけ茂みの中を通る場所もありました。

実は昨日、千丈駅で中断した後に今回の遍路のゴール地点である伊予平野駅の確認に行ったのですが、そこでバッタリと遍路道保存協力会の方々を見かけました。

そこでビーニャさんが夜昼峠はどうだったか?と質問をして、ある程度の情報は戴いていたので『草の茂る所とはここの事かぁ…』などと感じながら歩いてました。

本来なら遍路道マニアの俺が遍路道保存協力会の方とお話出来れば良かったのですが、低レベルのくせにこのブログで生意気な事ばかり書いているし、そもそも根っからのコミュ障なので話しかけることが出来ませんでしたね。

後から知ったのは、その時はいらっしゃいませんでしたが、俺のとても嫌っている尊敬しているお寺の住職さんも調査に参加されていたらしく、これまた話しかけなくて良かったなぁと思います。

が、寺の人が遍路道を歩かれるとは思いませんでしたので今後は見方が変わりそうで、今まで大変失礼しましたと感じておりますし、元々は本堂が美しく大好きなお寺の1つであったことをここに添えておきます。

が、おたくの納経所って何であんなに態度がデカかったり、イベント配布物を二重請求したりするんですか?

そもそも自分が経験者なのですが、何故武道関係者ってあんなに威圧的な態度になってしまうのでしょう。

さて、

時折、車道とクロスしたり、民家の敷地のようなところを突っ切ったりしながら夜昼峠を登ります。

その道脇にはこれからいくつもお堂や石仏、墓石が現れます。

因みにここは地元の人が“オチャド”と呼んでいた茶堂跡と思われる場所で地蔵菩薩が残っております。

この“茶堂”に関してはこれ以降、遍路をする上で重要な建造物のひとつとなりました。

ぐんぐんぐーん!っと標高を上げて行きます。

いつも車で走っている国道197号線がずっと下に見え、いつもと違う景色が珍しく、古道を歩く醍醐味を感じております。

遍路は何処を歩いてもそうなのですが、1度や2度ではまだまだで、後から思えばこの時、国道197号線の向かい側にある“ふるやぶ道”の方をよく眺めておけば良かったと後悔しております。

高群逸枝ファンではないですが、いつか“ふるやぶ道”を歩き、“大窪越え”を特定してみたいです。

ここ、明らかに俺の遍路道レーダーでは左の坂を登りますが道標は無く、珍しくアスファルトに従う選択肢を選びました。

進んでみると出口付近に“遍路道”と書かれたお馴染みの道標があり、やはり俺の感は合っていたのだと、ここ辺りから人の手が加わる前を歩いてみたかったと後悔が始まります。

遍路道保存協力会さんが前日に歩いていることを知らなければ、もちろん自分の感を信じて進んだでしょう。

余談となりますが、この日は半日程度で終える予定ですのでビーニャさんもカイもクウも荷物は背負っておりません。

ここには立派なお地蔵さんがいらっしゃいました。

これを見ただけで大はしゃぎ出来る俺は病気でしょうか?

御存知の事だと思いますが、一応中学生の頃に初めてとなる精神科受診をして、20歳過ぎからかれこれ20年ほどはずっと精神科に現役で通院しておりますわよ。

うふふ🤭

またまたまたまた舟形地蔵さんが現れました。

俺の中では“メタルスライムがあらわれた”的な嬉しさ(伝わるかなぁ…?)。

これはよく見かける“六地蔵”かな?その上は遍路さんの墓か何かだろうか?

“六地蔵”とは天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道思想に基づいて祀られた六体の地蔵さんです。

因みに俺ほどの波乱万丈なのかそんな人生を生きていると、地獄が特別な場所ではなくこの世にあることが解ってくるし、本当に怖いのが人間であることが理解できます。

だから“地獄も天国も向かう場所ではなくて、感じるもの”だと思ってます。

全ての行いは必ず我が身に帰ってくるので、それを心の奥深く理解して利己と利他を見極めたいし、どんな状況でも幸せを見出だせる人間でありたい。

随分と登ってきて景色も上に見えるものが減って来ましたが、『うん』と遍路道レーダーが反応するのでよく周りを見てみると細い電柱にお馴染みの遍路シールが貼ってあり左上を示しております。

ここからもまだ暫くはグッと登り、

茂みの中に見つけたお墓を見に行ったりしながら、峠と思われるポイントに到着しました。

ここ、よく見て下さい。

道筋を読むと、黄色いタンクのある方に左折ではなく、写真中央に真っ直ぐ突っ切る道があるはず(見えてくるはず)。

この辺りの車道を更に上がると名所があるらしく、一度通りすぎたトンネルの上を走る橋になっているような場所があるそうですが、徒歩の我々は寄り道をパスしました。

結果としてここが夜昼峠へんろ道の峠となりましたが、夜昼峠は四国各地を歩いた中でも急坂な峠の上位でした。

ところがこの付近まで民家もあり、農作業をする人達と挨拶をしながら、ここまで気持ちよく歩いて来れました。

笠置峠もそうですが、これだけ歴史の残る遍路道ですのでお奨めの道です。

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