遍路

観自在寺と一本松温泉 区切り遍路32日目 ④

犬の今後の餌を購入して、弁当を食べ先に進みます。

店で弁当を購入して困るのは容器のゴミです。

自炊ならそこまでゴミは出ませんが、弁当を買うと容器がとても大きなゴミになる。

捨てれる場所はコンビニ程度なので、何日も捨てられないことが多いです。

40番札所へ向かって愛南町の堤防をずっと歩きます。

歩きやすいけど何故か退屈な道。

奥に観自在寺の見える橋を右折して、愛媛県最初の札所へ。

40番札所、観自在寺。

13年くらい前に挑んだ自転車遍路の時のスタートのお寺。

そして6年ほど前に一人で四国を歩いた時は宿坊に泊まった思い出の場所でもあり、寺の坊さんとは共通の話題もありよく喋った。

本尊は薬師如来。

日曜日で人が多かったので犬とザックを邪魔にならないところに下ろし本堂へ向かうと、39番札所手前ですれ違ったお遍路さんと遭遇。

 

お遍路さん「早かったですね」

 

帽子を取っていたその人に気づかず俺はチグハグな会話をする。

このお遍路さんと39番手前ですれ違ったとき、

 

🌋お山さん🌋「今の人って実は通りすがりのじじいじゃない?きっとそうだよ」

 

とのやり取りがあり🌋お山さん🌋はハッキリと覚えていたが俺は帽子を取った姿に全く思い出せなかった。

実はビーニャさんのブログによく書き込みをくれる通りすがりのじじいさんが現在遍路で四国を旅しているとのこと。

俺のことも気にかけてくれる方で、俺に居場所を知られると「お前があの時のじじいか!」と怒られるから教えないそうです。

せっかくだからブログでも書いてくれたら嬉しいのに。

 

じじいさん、今何処を歩いてますか?

探し出しますよ。

応援してますよ。

大師堂前には煩悩を打ち砕くと言われている金剛杵が置いてあります。

先っちょが5つに分かれている五鈷杵。

祈る人も仏の五智(大日如来が持つ5種の知恵)も本来一体であるという意味らしいです。

空海が手に持っている法具で俺も大好きなので1つ台湾で手に入れて持ってます。

こちらは3つに分かれた三鈷杵。

祈る人の心の働き、身口意(三業)が、仏の身口意(三密)に通じる意味らしいです。

三密…密閉、密集、密接

見えにくいけど、こちらが独鈷杵。

祈る人と仏が一体になるそうです。

 

早い話、We are togetherってことです。

 

他にも種類はいっぱいあるそうですが見たことありません。

色んな種類を集めてみたいな。

因みに噓ばっか書いてますので興味があったら調べてみてください。

大師堂前にはあちこちで見かける賓頭盧(びんずる)さん。

悪い所を撫でると治してくれるみたいで、昔はいっぱいお世話になりましたが、相変わらず頭と性格の悪さだけは一向に治りません。

この賓頭盧さんは撫でられすぎたのかホラーになっちゃってますね。

コロナ時代に合わない賓頭盧さんですが、いつかまた気にせずなでなで出来る日が来ることを祈ります。

 

そして、

大師堂前には特別な場所があります。

今回お世話になる篠山大権現さんです。

無事に篠山神社に辿り着けるようにしっかりとお祈りします。

 

40番札所観自在寺を出ると、我々は右に向かう皆さんとは逆方向へ向かいます。

「いよいよか…」と本当に特別な気持ちになります。

寺を出た瞬間から篠山道は始まったのです。

大冒険です。

打ち戻りは、来るとき歩いた堤防ルートを使わず、旧市街地、つまりは恐らく遍路道であったろう道を選びました。

考えてみたら当然のことですが、昔はトンネルや堤防は無かったわけです。

遠回りになりますが、俺は88個の寺に来ているわけではなく遍路をしに来ているのです。

歩きながら昔歩いた人の思いや、今までの自分、そしてこれからの自分のことを考えます。

戻りはわりと登り多めの遍路道になります。

相対性理論なんて教養のない俺には分かりませんが、感じることもあって、

行きより帰りの方が早く感じるし、

年の瀬の今、年齢と共に1年がずっと昔より早くなっている感覚があり、

そんなで宿毛市も愛南町もずっと気が重かった打ち戻りはあっという間に過ぎ去っていきました。

何より必死に歩いているからあっという間でした。

遍路道沿いに観自在寺の賓頭盧さんにも負けない顔をした空海さん。

長いこと一緒に旅が出来ていないビーニャさんの面影を感じます。

そして、戻ってきました。

篠山神社、一の鳥居、特別な場所。

 

やっと、

 

やっと、

 

左の道を進める…。

 

篠山を意識しだして何年になるだろう。

少なくともコロナ禍に待たされたこの2年はずっとこの道を左に進むことを思い描いていた。

 

長かったなぁ…。

 

涙が出そうになりました。

 

「今から向かわせていただきます」

 

不安で一杯です。

不安の重さがザックの重さです。

これを背負って明日…。

東に延びる影。

今日も一日歩き、すっかり日暮れ前。

 

疲れも溜まってますが、出来るだけ遍路の歩いた(であろう)道を少しでも歩きたくて、今日の宿泊地から離れていく。

 

そして、今日と明日の中間地点で進路を変え、

一本松温泉へ。

今日はお風呂に入れます。

本当に嬉しい。

しかし、これからが大忙し。

犬を連れた旅は本当に大変で時間も倍かかります。

お風呂は交代で、どちらかが犬とテントに残らないといけない。

野宿地の近くに温泉があればいいけど、旅の途中の温泉だと、先にお風呂に入った方は後が出てくるまで外で犬と待機しないといけない。

せっかく風呂で温まったのに本当に大変。

 

この日は温泉近くの公園の隅にテントを張らせていただき、まずは二人とも着替えて洗濯物を集め、俺は700m離れたコインランドリーと、そこから400m離れたコンビニに買い出しへ。

俺がテントに戻ってから🌋お山さん🌋が先に温泉へ行き、俺はコインランドリーの仕上がりまでの50分間に調理を済ませ一人で食事。

🌋お山さん🌋が風呂から帰ってきたら犬を任せ、再びコインランドリーへ行き洗濯物を回収したらテントに戻り閉店ギリギリの風呂へと、

野宿って本当に大変で殆どのことを自分でしないといけないけど、それが有難くて、必死に生きてる自分が嬉しくて涙が出てきた。

日常がどれほど便利さや安全に甘えているのか痛感します。

 

だからって野宿している遍路が凄いわけでもなんでもなくて、

宿に泊まる遍路だって、必死に働いたお金を手渡して宿泊させて貰ってとお金を循環させ、人並みに働くことが出来ない俺には本当に凄いことだと思ってます。

 

この日もとても冷えました。

この旅で一番寒い夜だったと思います。

店難所でもある明日からの食料など考えてばかりでした。

明日の篠山に向けて緊張しながら、どうにか2日目も歩き切ることが出来ました。

 

 

参考に、一般的に言われる話を省略して伝えると、

40番札所観自在寺から41番札所へ進む道として現在では柏坂を歩くことが主流となっており、これを灘道と呼びます。

古にはこのほかに中道と篠山道と言われるルートがあったこともたまに目にする遍路の歴史ではありますが、

実はもう一本、船の遍路道があったことはあまり語られておりません。

長い遍路の歴史なか、近代化により今より徒歩巡拝が重要視されていなかった時期もあり、その頃は現愛南町から宇和島へ渡る船遍路により、難所を回避されていた時期もあったのでした。

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