黄色いタンクのある分岐点で我々は峠を越え森の中へと進む。
川ノ内小学校跡から始まった夜昼峠は、ここまで開けた場所がずっと続いる展望も良い道たが、ここから先は遍路道らしい木々の中の下りとなった。
この辺りに来ると夜昼峠が国の史跡に認定されたとの看板が幾つか見られる。
非常に歩きやすい土のふかふか道は時々アスファルトと交差する。
夜昼峠の下りもまた少々の難易度があり、アスファルト道によって寸断された遍路道の続きが非常に気付きにくかった。
例えば上の写真では、写真右手に遍路札が下がっているのが見えるだろうが、峠からここに下ってくる。
そして道なりに中々な下り坂のアスファルト道が目の前に現れるのだが、遍路道の続きは180度振り返った写真中央に小さく写る木の立て札から左折となる。
どう考えても道なりではアスファルト道に進む作りなので、ここに気付けずそのまま下る人が多いだろう。
先のほどの木の立て札まで戻ると遍路道の続きとその先に一基の墓が見えてきた。
夜昼峠の下りはこんなポイントが多く、とにかく土の道とアスファルトが交差したら周りを見渡すことが重要となる。
時々、集落のなかを進む事もあり、ここまで休憩無しで歩いて来ていたので夜昼集会所で休憩することとした。
遍路2日目となる今日は夜昼峠を下って伊予平野駅まで歩くだけの半日コースなので実にゆっくりで気楽なものです。
集会所辺りから下り坂が急になり少し下ると、とても大切にされているお遍路さんのお墓があります。
ちゃんと屋根で囲って大切にしてくださる方に感謝ですね。
こうした管理がこれからも続いて行くことを祈りますし、俺もいつか遍路の何かの役目を背負わさせて貰ってこの命を終えたいと思っておりますが、まだまだ宮崎でしないといけないことがあるので四国にすら移住できておりません。
再び分岐点が現れ『ふむ…』と立ち止まります。
写真右から出てくると先程よりきつい下りのアスファルト道が写真下へ向かって続いておりますので、一瞬そちらへ向かって身体が動き出しておりました。
よく周りを見ると民家と民家の間に立つ電柱に遍路シールが確認できましたが、ここは見落としやすいでしょうね。
俺も遍路シールが無くては見落としたかもしれないし、車の停まっている位置次第では遍路シールすら見えません。
何より山が削られアスファルト道を作った影響か坂道が急ですので、戻る形で電柱まで向かい道筋が不自然です。
遍路シールのある電柱から振り返るとこんな感じです。
先程の分岐よりは出てきた道の角度がアスファルトの下りを向いていないので『んっ?』とはなりやすいですが、この上り坂と車が停まっていて気付きにくいです。
とは言ってもアスファルト道を進んでも同じ所に続くのでは無いでしょうか?
我々のように“遍路道”に拘らないのであれば気にしなくていいかもしれませんね。
電柱までくれば、ここが遍路道であることを『なるほど』と思えます。
アスファルト道じゃないってワクワクしますよね。
時に、俺もYouTubeで“遍路”動画をよく見ますが、皆さん結構“賢明な判断”をされており、『遍路道を進むか、アスファルトを進むかその都度判断されているな』と感じております。
我が家は出来る限り古道を通りますので、そう言う意味では“賢明”ではなく“懸命”な判断で遍路をしていると思います。
今まで避けたのは篠山にある“寺道”だけで、ここは道が確認できず、標高1000mの山中だったので遭難の可能性により諦めました。
さて、そんなこんなで夜昼峠から下り切ったようですが、ここまでの感覚として土の遍路道は全体の3割と言ったところでしょうか。
前半、後半はアスファルトとコンクリートの道で集落沿いを歩いてきました。
登りはキツく、下りは一部を除きのんびりな印象の夜昼峠でしたが、今回歩いた笠置峠も夜昼峠も非常にお気に入りの遍路道となり、特に笠置峠はお勧めの道となりました。
夜昼峠を下ったところで立ち話をしていた地元の方(70代男女)と少し話をしました。
「八幡浜は昼なのに、ここ(大洲側)は霧で夜みたいに暗くなるから夜昼峠って言うんよ」
これは肱川あらしの影響なのでしょうか?
「ここに嫁いで50年になるけど遍路さんは見たことながない」
その頃は既にバスが札所を走るようになり、遍路の形に変化が見えた頃でしょうか。
「お茶でもどうぞ」とお接待の誘いを受けましたが、車を回収するための時間に追われていたので御断りさせていただきました。
その民家の先に大師堂もあり、
こんぴらを示す常夜灯や道しるべを過ぎると、旧川ノ内小学校跡で逸れた国道197号と合流しお馴染みの道へ。
『昼夜峠はここを歩いていたのか』と、今まで何も知らず車で通過していた側道を珍しく歩きます。
国道197号線の裏道を歩く形でローソン裏から、一巡目の時に出石寺を目指して歩いた道に合流しました。
目を凝らせばあちこちに古道の名残や、お堂がある。
その先の伊予平野駅が今回の旅のゴールで、この遍路は終わりを迎えました。
珍しく車の回収はビーニャさんに御願いして(一駅)迎えを待っていると、そらうみさんが会いに来てくださり、
色々話したり大好物をお接待していただきました。
いつもありがとうございます、そして、昨日は突然の中断によりお誘いをドタキャンしてしまい申し訳ありませんでした。
昼前に遍路を追えた我々はその後、船で九州に渡る時間まで普段行けない札所に行こうと、野村にあるバラ大師と、惣川地区に残ると言われる“おへんどくえお堂(お遍路供養堂)”を探しに行くのでした。