遍路

白滝か?採石場か? 区切り遍路43日目③

遍路石に敵意をむき出す 区切り遍路43日目②からの続きです。

 

おこや休憩所から61番札所奥の院白滝への道を進んだ。

俺は2度目の道で、お山さんは初めて歩くことになる道だ。

すぐにシダが生い茂る細い山道を歩く。

前回の記録にも書いたが、今の60番札所参拝の主流は、今治から小松で一泊して採石場ルートで打ち戻るのが一般的だと思う。

その場合は前日に61番札所を打ち終えている場合が多いから、つまりはこの道を歩かれる可能性は少なくなる。

因みに俺が1度目に歩いた時は、小松で一泊したのち採石場ルートで登り、白滝ルートで下り60番札所へと向かった。

暫く歩くと再び休憩所に出た。

奥には仮設トイレのようなものも見えるが、虫が大の苦手な俺には中を見る勇気はない。

横峰寺を出発してからここまでの道のりは地図で見るよりも非常に長く感じた。

そして標高約750mからの下りは、予想外にも登る場所が何ヶ所かあって下る者の心を折ってくれる。

休憩所から先の急激なつづら折りの下りも長く、ウンザリしながら下りてやっとアスファルト道に辿り着いた。

途中で遍路道には厳重に木の柵が立てられて通行止めとなり、迂回路を歩かされた。

その歩けなかった遍路道はまぁまぁ長い区間だったのだろう。

遍路道の出口を見て、歩けなかったことをとても残念に思った。

途中途中見かける通行止めとなった遍路道の奥に見える遍路道標がとても悲しい。

いつから通行止めとなったのだろう?

鯖さんの黄色い札や、お馴染みの白い”遍路道”の札も結構綺麗な状態と見えたが…。

実は2度目となった白滝ルートの記憶は殆んど残っていなかった。

今回歩いてみたが、まるで初めて歩くかのような感覚しか持てなかった。

その理由は、1度目は通行止めになった道を歩けたのだろうか?

もう一つの理由の方が可能性が高いが、この日俺は足摺付近から仲良くなった4人組でこの道を下ったのだった。

だから、一人で景色を感じるより、人との会話に気が取られていたのだろう。

その先の長くダラダラと下るアスファルト道にも記憶が殆んど残っていなかった。

ただ覚えていたのは61番札所奥の院に滝行をする場所があり、お堂が白く大きいコンクリート作りだったこと。

ガードレールの切れ目から奥の院へ下りて懐かしい風景を見に行く。

しかし、滝は通行止めとなっていた。

不動明王のある滝まで歩いて行きたかったが、この日は何故か気が向かず、通行止めを”珍しく”守った。

「せっかくだから」と滝を見に行った人が2人ほどいたので話を聞くと、滝へ向かう途中の通路が決壊していたようだ。

1度目歩いた時はちょうどここで女性が滝に打たれていたようだ。

俺はわざわざ滝が無くても松尾峠や湯浪休憩所のように自作の滝に打たれるからそれでいい。

大切なのは滝を作るためにどんな山でも水を背負って登り、それを温めることから始める修行なのだ。

時刻は12時30分過ぎ、奥の院の本堂と思われる建物の近くに腰を下ろし昼食を食べることとした。

勿論、便利なカップ麺で済ませる。

ご飯を食べている間も意外と訪れる人がチラホラいらっしゃった。

奥の院から出てもダラダラと長い道を小松へ向かって下った。

途中で大谷池と高速道路の下を潜る。

恐らくこの高速道路をもう50回は通っているだろう。

大谷池の先に広大な公園があり驚いていると、中務茂兵衛の名が彫られた碑が目に入った。

中務茂兵衛の紹介と、横峰寺道、香園寺道への案内が書いてある。

これに書かれているのは中務茂兵衛は故郷の山口県に1度も戻ることなく280回四国を回ったことと、237基の遍路石を建てたことでした。

確か、280回ではなく280回目前の87番札所で力尽きたと記憶していますが、そのサイトによって回数、遍路石の数共に若干の差はあります。

早い話、すげえ暇人ってことですね。

大谷池付近から道は二手に分かれ、前回歩いていない道を選んだ。

その結果、恐らくこちらが正解で、遍路道らしい道を少し歩くことが出来た。

もう一つの方はアスファルトだった記憶があります。

墓地を抜けると高嶋神社の境内に出ました。

お寺の近くに神社があることが多く、神仏分離の影響なのでしょうか?

きっとその神社たちもいつの時代か遍路さんが立ち寄った場所なのでしょう。

今考えると神仏習合ってとても不思議な感覚がしますね。

何より、神様、いつもありがとうございます。

 

折角ですので、本をいくつか、そしてえひめの記憶を参考に遍路について勉強しています。 

前回の記録から始まる横峰寺下りの遍路道について、今回歩いた白滝ルートの方が採石場ルートより歴史は浅いと言う記述を見かけました。

これは意外な発見で、もう10年以上前になるでしょうか、どこかで「採石場ルートは正式な遍路道ではない」と言われていたのが記憶に残っています。

しかし、今回訪れた61番札所奥の院白滝の歴史が昭和8年からと言われることをや、遍路石が採石場ルートの方角にあることを考慮すると確かにそうなのかもしれませんね。

しかし、真念の”四國遍禮道指南(1687年)”によると”大頭(おおと)村にもどる”とあります。

つまりは今回登りで使った湯浪ルートの入口にあった”石土神社”の石の鳥居まで戻り、小松61番を目指していたようです。

出来るだけ古い遍路道を歩いて見たいので、こんな所に神経質になってしまいますが、調べれば調べるほど奥が深く面白い世界ですね。

興味がある方は、

もうなにがなんだかわからんから”せんだつ”にきいてくれ。

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