あぐり窪川から市野瀬遍路道へ 区切り遍路22日目①からの続きです。
市野瀬遍路道からの下っている時、いつもとは逆の右膝の神経痛が酷く深刻な状態になりました。
ぎっくり腰から始まったこの遍路。
いつもはバイク事故の後遺症である右腰の痛みから始まって、左膝、右膝、首と傷む場所が変わります。
それでも歩みを止めません。
ここを下れば遍路小屋があるので、そこまでは我慢します。
遍路道の途中で国道のトンネル上を通過して、更にそのまま遍路道を下ります。
38番札所金剛福寺まで残り75kmでまだまだ遠いですが、我々の区切り遍路は今日までなので辿り着くのは次回の遍路になります。
山道をだいぶ下り、右下に赤い屋根の遍路小屋が見えてきました。
もう少し、頑張れ!
今回ばかりは荷物の重さが響いたのでしょうか?
よくわからないので荷物は今後も減らしません。
とりあえず遍路小屋で休憩します。
ヘトヘト、そして膝が酷く調子悪いです。
すぐあとを身軽な体育教師風の男性が軽快に通過して行きました。
今回の遍路では他の遍路さんとの交流は殆どありませんでしたが、これも醍醐味の1つなので寂しいことです。
遍路小屋を出てすぐに山水ポイントがあります。
前回通った時は外国人2人と歩いていたので立ち寄る事が出来なかったポイントです。
水マニア曰く美味しかったそうですよ。
山水ポイントから少し歩くと新しいお接待所が出来てました。
お接待所の方「休憩どうですか?」
先ほどの身軽な男性も休憩しながらカップ麺を食べてます。
さっきの遍路小屋で休憩したばかりだったので気持ちとしては立ち止まらずこの勢いで進みたい。
しかし、昼食も中途半端な時間で「もうここで昼食を済ませとこう」と膝も痛いので休憩させて頂くことにします。
そしてお接待所に入り、何かがピンと来ました。
ラーメンのお接待、このお接待所の雰囲気、それに何処かで見覚えのある御主人。
俺「もしかして三原村の…?」
御主人「そうそう、こっちに越してきたの」
まさかのまさか、とても逢いたかった方にまさかの場所で再会です。
今回の3巡目歩き遍路では足摺岬から月山神社ルートを選択する予定なので、打戻りで三原村ルートは選択出来ず会えないと思ってました。
御主人も俺達のことをうっすら覚えててくれたようです。
持ってきたカップ麺にお湯だけ頂き、飲み物をお接待していただきました。
そして、豊富にある貴重な遍路の本を見せて頂きながらアレコレ教えて貰います。
この御主人は以前からそう、知識をひけらかさず、しかし問い掛けにはしっかりとした知識で答えてくれる方です。
俺が四国で3人出会ったうちの1人、本物の手本となる遍路ですので、この方との会話に時間は惜しみません。
とは言え長く居座ってしまいビーニャの一声で出発です。
大変有り難いお接待を頂き感謝してます。
その後、淡々とアスファルト道を歩き佐賀温泉まで来ました。
先程の休憩所で知り合った男性も一人の遍路に寂しさを感じてたようで、お接待所からここまで一緒に会話しながら歩きました。
峠の休憩所で声をかけたかったようですが、俺が疲れ果ててたので控えて下さったよう。
別格も打っていると聞いて、同じ別格打ちとして非常に嬉しかったです。
納め札を交換しておけばよかった…。
佐賀温泉の遍路小屋にはお大師さんがいらっしゃいます。
以前は外国人2人がここに寝て、
俺とビーニャは隣のこのスペースにテントを張らせていただいた思い出の詰まる休憩所です。
今回はホームレスさんいませんでした。
2日間風呂に入れてないので温泉に入りたかったですが、今日はあと8kmと少し歩いたらゴールなので温泉は諦めました。
後で待ってろよ。
実は佐賀温泉からの先に心配してる遍路道がありました。
御覧の通り、また高速道路の工事で通行止めです…。
土砂崩れも関係してるかな?前はそうでした。
まぁ、ある情報は仕入れてましたので進みますよ。
我々は歩き遍路ですから。
遍路道入り口の看板の“遍路道”の文字がガムテープで隠されてました。
お馴染みの熊井隧道まで来ました。
この熊井隧道までは来れると看板には書いてたと思います。
なら何で“遍路道”の文字にガムテープなのかな?
トンネルの説明と、ここにもこの先通行止めの貼り紙。
1人で通るにはちょっと怖い熊井隧道を通過しました。
その先の景色は御覧の通り。
我々の遍路道が現代の乗り物によって占領されてました。