現代に溶け込んだ古道を歩む 区切り遍路41日目②からの続きです。
旅の再開初日の今日は55番札所手前から歩き始め、昼前に57番札所栄福寺まで歩いて来ました。
個人的には好きな雰囲気のお寺の1つに入ります。
お城好きな関係で本堂の唐破風に惹かれます。
こじんまりしたお寺ですが、本堂にに奉納された箱車や、ボクは坊さん。と言う映画の元となったお寺と、何かと話題のあるお寺です。
箱車…今でいう車椅子のようなもの。88ヶ所のお寺の中に何ヶ所か歩けるようになった人が奉納したものがある。
このお寺の遷り変りを感じながら腰を下ろし休憩します。
犬達も”歩く”と”休憩”が既に分かってきましたね。
お山さんは境内にある掲示板に貼られた”ボクは坊さん。”に興味を持っておりますが、因みに俺は見たことありましぇん。
箱車の持ち主が現れたって記事も貼ってありましたね。
少し休憩したら58番札所を目指すことにします。
写真右手には元57番札所へ続く階段があり「気になるよね~」と話すけど、残念ながら通行止め…。
57番札所入口には修行大師像とお願い地蔵尊があります。
“お願い”と言うと、ここ数年、自分の中で言葉になりにくい思いがありますね。
「お願いが無い」と言うか、今度は自分がお返しする番と感じているというか、あれ程苦しみ切った過去があり、それは遍路と共にあった時期でありました。
あの時、薬師如来を信じ、それが今となり、もうこれ以上は何も望むことはありません。
お金持ちになりたいなー
百薬に勝る遍路…、
では、回復した後は…?と言うことです。
57番札所から58番札所へは徐々に登り始め犬塚池の横を歩き、標高約300mまで登ります。
その池の堤防の下に”犬塚樋”と書かれた明治時代の隧道を思わせるような樋があります。
樋(とい)…身近なもので言えば雨どい(樋)この場合はせき止めた水を出入りさせる水門の意味だろうか?
この池には先ほどの57番札所と58番札所を行き来する賢い犬にまつわる悲話があります。
寺の鐘の音を合図にしていたその犬は、両方の寺の鐘の音が同時に聞こえたことによりどっちに向かおうかと混乱してしまい、この場所で迷っていたところ池に足を滑らせ溺れ死んでしまった。
それを供養する犬塚があります。
池の登り口に見つけた”つくし”
何故か嬉しくなって写真に収めた。
こちらは池の登り口にあった”作礼山本堂”と書かれ指さされた遍路石。
見つけるなり喜んで駆け寄り写真を撮った。
言うまでもないが”作礼山”とは58番札所仙遊寺のことであり、個人的にはこういう表現の遍路石が大好きである。
似たもので言えば”すごうさん”と書かれた遍路石で”菅生山”つまりは44番札所大宝寺を指す。
“いなり”も可(41番札所龍光寺)
“志ようるりじ”とか”い奈り”とか”くわんじざいじ”も三めうがうー。
やばい、興奮してきた…
犬塚池のほとりを歩きます。
日陰で歩きやすい遍路道です。
まだ昼ですがテント張りたくなりますね。
因みに池の中は重機で大規模に工事してました。
犬塚池の後半から急に登りだし、いよいよ仙遊寺への本格的な登りの始まりです。
汗を掻くこともですが、何が気が向かないって、標高のあるお寺に向かうのにアスファルトの登りを歩くという味っけの無さ。
只でさえ、俺とお山さんは”特別な思い”のある仙遊寺に今から既に警戒態勢なんですわよ。
わかりますか?既に後ろは恒例の「ボソボソ」が始まってるんです。
少し登って振り返るとしまなみ海道が見えました。
愛媛県の今治と広島県の尾道を結ぶ道です。
あと数日も歩けばこれが香川県坂出市と岡山県を結ぶ瀬戸大橋になります。
標高300mは大したうちに入りません。
先ほどから俺達の横をどんどんと車が追い越して行きます。
遍路さんの数が増えたように感じますが、驚くのは、見かけた車が殆んど関東ナンバーだったことですね。
もうコロナうんぬんを言うつもりはありませんが(因みに第6波中だったかな?)関東では今遍路が流行っているのでしょうか?
山も中腹に来るとちょっとした庭園と東屋があります。
ここが昼食の予定地で到着が12時を過ぎましたが、お腹が「ぐーぐー」言ってやっとこさ辿り着きました。
俺はお湯を沸かしカップ麺の準備、お山さんは犬達のご飯の用意に取り掛かります。
そうしている間も次々と車が登っていきますよ。
駐車場代(参道整備費)儲かりまっか?ぺっぺ!
新品価格 |
新品価格 |
新品価格 |