高野休憩所へ 区切り遍路38日目③からの続きです。
高野休憩所から歩き出すとすぐにアスファルト道から逸れ遍路道へと入ります。
左の木の根に落ちてる遍路道標は見える位置に戻しておきました。
道標のお陰で安心して歩けるので、自分にも出来ることをします。
千本峠までとは違って開けた場所を、道しるべを頼りに進みます。
この辺りから更に道標が増えてきました。
カクカクと曲がるちょっと複雑な道ですが、注意して歩けば迷うことは無いでしょう。
イメージ的には段々畑を下っていく感じです。
よく見ながら歩くと、現代の道標に加えて古の道標も多いです。
手の形がリアルで、袖付きのものが多いので割と最近の道標だと思います。
最近は中務茂兵衛とか武田徳右衛門の遍路石ばかりを目にしていたので、逆にこの辺りの新しい遍路石が珍しく感じますね。
こんな感じで段々畑のあぜ道を歩いて標高を下げていきます。
後に知ったのは、夏場のこのルートは草が生い茂り歩きにくいとのことですが、改めて見てみると確かに歩きにくそうですね。
道に迷っちゃいそうです。
途中に大除城の案内看板がありました。
歴史も好きなので興味津々に見ますが、城と言えば全国各地にものすごい数があるのに、一般に知られているのは有名どころのほんの一握りです。
遍路道を歩いていても「こんな所に城があったのかぁ」と、たまに見かけます。
天守が無い要塞のようなお城が全国のあちこちに。
まっ正面のあの山ですが、生で見ると結構高い山です。
1501年頃に河野氏によって築かれると紹介されていますが、この伊予の河野氏と言えば、我が家の変換では河野衛門三郎となります。
伊予河野家の一族に生まれた衛門三郎は空海との托鉢の一件以降、空海を追い求め懺悔の旅に出ました。
空海に会えないまま焼山寺の中腹にある杖杉庵で病により倒れたとき「生まれ変わり、人の役に立ちたい」と現れた空海に願い、再び伊予の領主の元に生まれることになります。
臨終の時に手に握らされた「衛門三郎」と書かれた石がその生まれ変わりの手に握られており、その由来から51番札所は石手寺の名前が付いたと言われます。
衛門三郎は罪深い過去を持つ俺にとって、自らの間違いに気づいた尊敬している人物の一人です。
この道には遍路石が多く残っていました。
自然石の古い遍路石がここにもありますね。
時々、急な下りの道もありますが慎重に進めば大丈夫です。
何処までも続く似た景色。
向こうの方に松山へ続く国道も見えてきましたね。
この遍路石も袖付きのリアルな指さし。
千本峠ルートが真の遍路道であったことは言うまでも無さそうですね。
本当に歩けて良かったです。
結構下ってきて、採石場のような脇を通ると国道はすぐそこに見えました。
橋を渡ればお馴染みの三坂峠へ続く国道に出ます。
その少し手前の川沿いにある公園で水道を探します。
高野休憩所で洗えなかった食器を洗えるうちに洗っておきたかったのですが、ここもまた蛇口をひねっても反応は無く、水道管が凍っているのか、凍結防止に栓をしめているのかはわかりません。
目の前にはトイレもあり、ひっそりと過ごすにはいい場所ですね。
そこからすぐに国道に合流して、千本峠越えに備えて履いていたトレッキングブーツからスリッパに変更しました。
車を停めた場所からここまでは約2㎞の平坦な道なのですが、いつかは歩いて見たかった千本峠の為に約7.5km、峠御堂と千本峠の2つの峠を越えて合流しました。
ここから先は三坂峠まで、アスファルト道をダラダラと登り、そこから一気に長い坂を下り松山へと向かいます。
この日の宿泊予定地は46番札所付近が距離的にも限界と聞いていますが、俺はまだ48番札所近くにある温泉のことを諦めてはおりませんよ。
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