この記事は2021年11月末から12月初めに行った歩き野宿遍路の帰路について書いております。
目次
福田百貨店へ
番外札所の少林寺を後にして、御槇の集落に下って来ました。
ここに来た理由はもちろん御礼の為。
あの悪天候のなかテントで過ごしていた我々を心配してわざわざ来てくれた福田百貨店のご主人の心遣いに感謝して、恩返しすることをあの時から決めていました。
何よりも大切なのは形無き心遣いだとつくづく感じさせられます。
福田百貨店には素材に気を使った調味料やお菓子などの他に、🌋お山さん🌋の大好きなフェアトレード商品も置いてあります。
もっと俺にもフェアに接してくれればいいのですが、それは置いといて、
あの時の御礼の気持ちを込めていっぱいお土産などを買い込みました!
買い物を済ませ、福田百貨店や秡川温泉に再来を誓って御槇地区をから宇和島市内を目指します。
鯨大師
その後向かったのは、日暮れ迫る九島の願成寺、通称「鯨大師」。
2日前にそらうみさんからここの話を聞いた翌日に、宇和島市内の馬目木大師でもここの名前を目にして是非とも来てみたくなりました。
今では住職はおらず、地域の方で管理されているそうです。
一眼レフで撮影しているので明るく見えますが、実際は日暮れギリギリです。
急ぎ足ですが、大師堂にも挨拶をします。
鯨大師の境内には銀河鉄道にかかわる鐘がありましたが、世代が違うのでよくわかりません。
さて、日も暮れました。
この旅の最後の夜が訪れます。
鯨大師願成寺をあとにする頃にはもう真っ暗でした。
入口の鯨大師参道入口の横には四国八十八ヵ所御荘観自在寺奥之院の文字。
ここは紛れもなく四国霊場の一つなのですね。
いくつかの奥之院
離島にあり巡拝が不便だったため宇和島市内の大師堂に元結掛願成寺として移され、
ここから更に明治初期に同じ宇和島市内にある別格6番札所龍光院に奥之院は移されたようです。
開祖1200年と言われる四国霊場の歴史も、資料により確認できるのはせいぜい400年ほど前からの話です。
変わりゆく四国霊場の歴史を紐解くことは出来ません。
忘れてはいけない40番札所の奥之院と言えば篠山神社と篠山観世音寺。
ここもまた観世音寺の廃寺により篠山神社に奥之院と移されたのか、
そしてそれはいつの時代からなのか、
その影響により篠山観世音寺から本尊などを移された歓喜光寺。
このどれもが40番観自在寺の奥之院でした。
九島大橋とその向こうの宇和島の街を見ながら、四国霊場の奥の深さと偉大さを感じる。
どれだけこの四国の大地を走り、歩いて来ただろう。
それでもまだまだ謎多い遍路の世界にどっぷり浸かってしまっております。
今日の終わり
そこから一度来てみたかった宇和島の道の駅に立ち寄り、今後の作戦を立てながら🌋お山さん🌋の本来の目的であった、
チョコレート屋さんには閉店時間を過ぎて到着してしまいフラれたので、近所でうどんに八つ当たりをしました。
そして今夜の宿泊地を探しました。
しかし、コロナにより愛媛県内の無料キャンプ場は閉鎖が相次ぎ、いつになってもハッキリとした答えが出せずに苦労します。
遍路は得意でも、それ以外となると寝るところすら迷ってしまう。
歩いた旅が終わり、車に乗った以上、遍路中のような野宿は気も引けます。
選択肢の限られる歩き旅だから許されることもありますが、車で同じことをしてしまうと勘違いしたキャンパーと同じです。
結局、迷いに迷って辿り着いた大洲の河川敷も工事中の為テントは張れず、遅くなってどうにか内子町の河川敷のキャンプ場に辿り着きました。
不思議なことに、目の前には何度も通ったことのある遍路道。
果たして、今日何人の遍路さんが歩いたのだろう・・・・?
自分も同じ遍路なのにいつもそう考えてしまう。
歩いている遍路さんから溢れ出すエネルギッシュなオーラに元気を貰える感覚。
「ああ!あそこ!遍路さんだ!」と遍路さんの自分たちが喜ぶ。
遍路って本当に不思議だなって感じながら、四国での最後の夜を終えました。