国道に沿うクネクネ旧街道を進む 区切り遍路44日目③からの続きです。
前回、通し打ちした時に一泊の宿をお借りした萩生庵を後にして暫く歩いていると喜光地(きこうじ)の商店街アーケードを通ります。
残念ながら写真を撮るのを忘れてしまいましたが、誰もが印象に残るであろうアーケードを通る遍路道のひとつです。
これもまた残念なことですが道後のアーケードと違ってシャッター街であります。
実はその前に喜光地のアーケード手前にあるミニストップで休憩してプリンを食べたのですが、これまた写真を撮り忘れてしまいました。
宮崎県に住む我が家ですのでミニストップを見るのがとても珍しく、見たら必ずと言っていいほど立ち寄りプリンを注文するほど大好きなコンビニであります。
喜光地アーケードを出たすぐ先には遍路石が4基あります。
というか、道なりに進んでしまうと気付かない場所にあるので、興味がある方は“アーケードを抜けたら右前方に注目”することを忘れないでください。
進行方向はこの道ではなく、写真には写っていない左手の道を進むことになります。
4基の遍路石と書きましたが、実は遍路石は2基であり、1基はこんぴらの道標と、もう一つは土佐への道標となります。
つまり写真に写っている道は奥に写る四国山地を抜けて、南の土佐へ向かう道なのかもしれません。
遍路石の先にあったコスモス薬品で今後の食料を購入してザックに詰め込み、実は見落としてしまった先ほどの4基の遍路石を確認に戻りました。
ここまで来れば今日の目的地はそう遠くない距離にありますが、肩の痛みもなかなかつらい状態となってきております。
淡々とお馴染みの細い住宅街の道を進むと右手に遍路小屋(横屋)と、お遍路ハウスの建物が目に入ります。
が、もう遍路小屋以外は閉鎖されているのかな?と言った感じで人気を感じなかったですね。
今まで1度も休憩したことの無い遍路小屋でありましたが、今回もこのまま前進することにしました。
その先の国領橋を渡った2kmほど前方に今夜の野宿予定地があります。
本日は一日中、歴史を感じる旧街道をゆっくり進んでまいりました。
歩きにくいことには変わりなかったですが発見が多かったです。
この国領橋の少し手前で明らかに遍路道から逸れた感覚がありました。
遍路地図上で示されている遍路道、つまり“旧街道”を進んでいる訳ですが、明らかに古来の道は左に逸れていました。
俺「ここ、明らかに左が正しい道だと思うけど…」
そうビーニャさんに伝え、『まぁ、いいか』と暫く進んで振り返ると、後ろにビーニャさんの姿がありません。
さっきの道を左に進んだのだろうと思い、左側を見ると道は寸断されており、こっちに戻れる道もありません。
俺「お~い!」
と呼ぼうとした頃には、
やっぱりあっちの道を進んでおり、強引に段を這い上がって国領橋まで戻ってくることになりました。
まるで一昔前の俺のように古来の遍路を追求するようになったビーニャさん。
病気でしょうか?
その後、自宅に戻ってたまたま目にしたサイトには、やはり左の道が歴史の古い道と記載されており、写真のビーニャさんの後方に地蔵と徳右衛門作の遍路石があったようですが、この時は確認できませんでした。
↑のページの中間程に国領川の遍路道についてと、過去に国領川を渡っていた頃の危険性が書かれております。
さて、そうこうしていたら今日の野宿予定地である下から読んでも池〇池に到着しました。
距離にして約22kmほど歩いたのでしょうか。
犬の体力に合わせた距離設定なので、最近の我が家の歩ける距離はこんなものです。
17時前に野宿をさせていただく予定の公園に向かうと、まだ子供がうじゃうじゃしておりました。
俺「あっ、今日は週末か…」
そう思い、子供が帰るのを待っていましたが17時を過ぎたため隅っこにテントを張らせてもらいます。
既に、屋根付きの下にはソロテントが張ってあり、その周りをたくさんの子供が走り回っています。
明らかに邪魔になる場所に…早い時間から堂々と…、物凄いハートの持ち主ですこと。
その後、今夜から雨の予報なので地面の窪みに気を使い、少し斜めになった場所で野宿となりました。
米を炊いて夕食を作り犬達と一緒に食べます。
この公園は水道がトイレ以外なかったのですが、少し歩けばファミマがあるので便利です。
しかし、風呂無し…。
その後、定番のパトロールに出発してファミマでコーラとコーヒーを飲んで今日1日を終えました。
こうしてテントを張った後にその土地をパトロールする時間がとても大好きで、普段見ることが出来ない景色を堪能しています。
この更新から暫く遍路日記をお休みした為、八幡浜の笠置峠、夜昼峠など15話ほど話が飛んだのちに区切り遍路45日目を公開しております。
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