遍路

満願寺へ 区切り遍路35日目 ③

謎の「うがう」の続きです。

目次

満願寺を目指す

「うがう」の遍路石を左折して住宅地を歩くと、右手に県道を見ながら旧道を歩きます。

とにかく寒い!そして風が強いのがこの写真からも伝わるでしょうか?

お山さんカイクウも必死に歩いています。

犬のカッパも大活躍で、カッパの下には勿論犬用ザックも背負って歩いています。

俺は後ろを歩きながらクウの耳がひらひらしているのを見るのが好きです。

左に上がりトンネルを抜ければそこに満願寺があるのですが、出来る限り遍路道っぽい所を歩きたいので、遠回りですがトンネルを迂回します。

昔のデータだと左の山の中を歩き満願寺の境内に直接出ているようですが、その道は見当たりませんでした。

歩くとあちこちに舟形地蔵さんがありますが、それが遍路のものなのか、そのほかの物なのか見分けがつきません。

出来る限り近寄って確認するのですが、中には交通事故の供養などのものもあります。

町が近づいてきました。

あの橋を右に曲がれば野井坂遍路道へ向かいます。

左に曲がると満願寺や40番札所へ続く道です。

真っ直ぐ行けば左の道と合流して3kmほどで灘道ルートのやすらぎの里や松尾峠の国道56号へ合流します。

ストリートビューで確認すると、この橋を真っ直ぐ進めばすぐに2件ほどスーパーが確認できますね。

JAえひめ南 清満支店

清家百貨店

我が家はここで昼食を手に入れる予定でしたが、地図を見ることを任せていた人がハッキリ場所を把握していなかったので入手失敗となりました。

どう見ても間違うはずが無いのですが、やはり簡単な地図でも読めない人がいるのでしょう。

地図も読めない、何も分からない、買い物を任せてもスマホを置いていくような付いてくるだけの人って旅をしていて楽しいのでしょうか?

それを踏まえて極たまに地図を持たせたり、計画を立てさせたり責任を持たせます。

ミスっても食べ物なんて背中に入ってますし、計画なんて何パターンか頭に入ってます。

 

その人「いつか一人で野宿しながら通し打ちしたい!」

 

いや無理だと思います。

宿にしときなさい。

 

ただ、大賛成なのは「一人で遍路をする」と言う部分です。

遍路は一度一人で経験した方が絶対にいい。

そもそも遍路は一人だと俺はずっとずっと思ってます。

なのに、なんで増えてるんや…、犬まで…。

 

3km先の国道に出ればコンビニやスーパー、コインランドリーもあるのですが、満願寺を打ち終わるとそのまま野井坂へ向かうので、ここは重要な食料ポイントとなりますね。

 

満願寺まであと数百メートルと言ったところでしょうか、空の様子も変わってきました。

そして住宅地を抜けると、

遂に篠山道の終着点である満願寺を目視しました。

「ついに…」と言った気持ちで一杯でした。

その気持ちに答えるように、空も晴れてくれそう。

満願寺に到着

そして12時ちょうどに満願寺に到着。

これでずっと挑んでみたかった篠山道を越えることが叶いました。

見ての通り空も祝ってくれるように晴れ間が見えます。

満願寺に行きたい気持ちを抑えて駐車場の看板を見ます。

要約すると、この満願寺は灘道、中道、篠山道の合流地点であり、南予の要でした。

しかし江戸時代後期、遍路の増加により宇和島藩は主要道路であった中道の遍路の通行を禁止し、この満願寺のある岩淵村の通行も禁止され明治時代まで通行は出来ませんでした。

 

ここで一つの謎が解けました。

何故、少し手前にあった遍路石が「ひだり まんぐわんじ 右 遍んろみち」だったのか。(うがう)

 

まんぐあんじは通行禁止だったのですね。

 

今となってはほぼ100%の人が灘道を歩くでしょう。

最近、中道が復元されたようですので是非とも次回は歩いて見たいと思っていますが、こちらもまた装備や物資の準備が必要となりそうです。

とは言え、調べてみると下手したら1日で抜けられそうだし、流石に篠山道より圧倒的に難易度は落ちるでしょう。

地図にするとこんな感じ。

左から灘道、中道、篠山道となりますが、どう見ても篠山道の距離が多いのがわかります。

観世音寺と篠山神社番外札所盛りだくさんのこの道は他のルートと比べて打戻りを含む17kmの増加と、標高1065mの篠山が待っています。

雑に言えば40番札所は海に近いので、その高低差は言わずともわかるでしょう。

登山家にとっては所詮1065mとは言え、我々はそこまで数百㎞歩いて来た遍路である。

更に20㎏を超える衣食住と寝具まで背負っているのだ。

しかし一番の難点は距離や標高ではなく、店が無いことよりも、人が歩いていないことによる遭難のリスクでしょう。

どの道を選んでも難所の灘道、中道、篠山道だったので明治以降には現在の愛南町から宇和島まで汽船を使うのが主流になっていた時代もあります。

境内へ

駐車場から満願寺へ移動しました。

「ここが満願寺かぁ!!」

境内に入ると予想とは違って、とても寂しい印象を受けました。

真念が遍路ガイドブックの売り上げをここの復興に当てたように、遍路から見放された寺やお堂は今でもあちこちで朽ち果てていってます。

一番に思い出されるのは西予と大洲の境にある札掛大師でしょうか?(在りし日の札掛大師ページ下中央)

いや、今回の篠山観世音寺のように、もう姿すら無くなっている寺も沢山あります。

88と数字の入る寺の華やかさと、一般の寺のこの差は何なのでしょう?

上に薬師堂と大師堂。

ここは臨済宗のお寺で、本尊は聖観音菩薩です。

大好きな「おんころころ」を見つけましたが、そのあとは読めません。

「ぜんどうだいし 三めうがうー」も何処にあるんでしょうね?

ここは満願戦没者位牌堂でしょうか?

右下の舟形地蔵などが気になり、遍路の痕跡を探して歩きました。

 

ちょうど昼なので休憩をここでとらせていただきます。

 

しかし晴れ間もほんの一瞬。

強風と寒さで犬がとても辛そうでした。

昼食も買えなかったので、そらうみさんから頂いたおやつや、昨日買った残りのお菓子を食べて昼食としました。

ゆっくりしていたら寒さがヤバいので、新たなる旅となる野井坂遍路道へと進みます。

 

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