3巡目

挫折遍路とやっと確認できた遍路石

八幡浜市の夫婦岩で休憩をしました。

気温も上がってきたので今後が心配ですが、水分をしっかりとって出発します。

まだ暫くは歩きにくい道が続きますが、そこから八幡浜の市街地に入り、これからもまた歩きにくそうな道が予想されます。

八幡浜市の市街地に入る手前のカーブでひとつ以前から気になっていた場所があるので確認しました。

恐らく旧道にあたるであろう、今となっては側道のように見える日ノ浦橋交差点手前に石仏がいくつかあるのを車で通過するたびに気になっていたのです。

「八幡浜市にも遍路石が存在する」と聞いて真っ先に浮かんだのがここでした。

近寄ってみると、

うんうん、前掛けをしているので丁石かは確認できません。

しかし右に写る石柱を見てみると、

金山出石寺の文字と四十三番明石寺の文字がハッキリと確認できました。

『やはりこれは遍路石だったのだ』と知らずに何十回もこの道を通っていたことに感じるものがありました。

これがあると言うことはやはり旧道と思われる側道が古来の道だろうと、その道を少し進むと、

「また何かあった!」と、これの存在は全く知らなかったので大興奮の大喜びです。

山田薬師、卯之町、新道(鳥越)、旧道(笠置)、野村、吉田町、東多田(宇和)、明石札所、宇和島の文字が確認でき、そこまで(から)の距離が彫られております。

側面は津布理と布喜川への道標ですね。

それよりもねぇ…、お気付きの方もいらっしゃるでしょう、カイ君が草むらに座って休憩を始めちゃった…。

疲れると隙あらば草むらに座る、または止まっている車に飛び乗ろうとするのはカイの限界が近付いているサイン。

俺は認めたくない事実を受け入れつつも、ではここからどうしたもんか、野宿するにしても、車を回収するにしても、まだ少し歩かなければならないことと、ついさっき休憩したばかりだろうと、騙し騙し歩くことしか出来ません。

左を走る県道25号を見ながら川を挟んで旧道と思われる先ほどの遍路石のある道を進みます。

日陰なのが有難いですね。

しかし、それもすぐ終わることを知っているお馴染みの道…。

出来る限り古来の道を想像しながら、それと思われる裏道(千丈川沿い)を進みます。

この辺りからカイが非常に遅れだし、日頃元気に先頭を歩くクウもチラチラと俺の顔を確認しながら隙あらば日陰に座ろうとします。

出だしは良かったものの、想像以上に暑い日となってしまいました。

さっき休憩したばかりですが、千丈川沿いの木陰でまた休憩をします。

『イライライライラ😡』

自分のペースで進めない遍路は本当に辛いものです。

改めて、ペットどころか女性と歩くことの大変さ、それに憧れるという妄想に俺はこの場を借りて注意喚起をします。

考えてみたら解るでしょう!?遍路は1人でも大変なのに、何でワザワザ文句や要望ばかり言う人の面倒を見ながら一緒に歩き、ことあらば「男が荷物を持つべき」なんて言われないといけないのでしょうか?

そしてこんな事を書こうものならば「優しくない」とか言われるのが目に見えているが、なら自分の荷物を相手に背負わせ、世話まで求める貴様らは優しいと言うのかこのボケクソカスが!

とでも書こうものならばお決まりの「モラハラ~」と言われ、だから俺は最初から「こんな面倒くさい生物と一緒に歩きたくない」とシンプルに言っているという話なんです。

定年後に家にいる旦那はウザいと言い、自分が何か言われようものならすぐ「モラハラ」。

俺は自分だけは例外で、自分以外に原因を見つけ出す人種とは関わり合いたくないのです。

因みに1巡目を歩いたとき高知まで同じペースで歩いていた老夫婦は、奥さんが体力のない旦那さんのことをずっと“ぶつくさ”言って歩いてましたが、本当に誰かと一緒に歩くということは怪我や故障のリスクもあり遍路には向かないのですよ。

そもそも「24時間ずっと一緒に居たくない」と言うのは何処の誰という話で、ケンカしにワザワザ四国まで来て歩くわけではありません。

そんなこんなで休憩を終えて八幡浜駅の裏側を通り千丈川の南側を進んでいると、途中で線路に道を塞がれ、進めなくなったので少し道を引き返し飛び石の置かれている川を渡ります。

はい、もう、こうなったら動かん。

川を見るなり飛び込んだクウはびくとも動かずカラダを冷やしているし、カイに関しては川の流れに身を任せてフワフワ浮いてます。

「おい!まだ10分も歩いてねぇだろうかぁぁぁ!」の叫びも虚しく、動かないこの2匹を見て『もしかすると身体の熱が取れたら歩けるようになるかも』と、ここで再び休憩…。

それにしても矛盾するようですが、遍路は自由で、そして時間の流れがゆっくりですね。

川の流れでも、森の木を見ても、その瞬間時が止まるとでもいうかのようにふと我に返ります。

そのスローな時間をスローな2本足で歩くからある意味ややこしくなってしまうのだけど、やはり“便利という不便”から距離をとってみると見失いかけている大切な何かを思い出せそうな瞬間があります。

身体から熱がとれて少し回復したかに見えたカイですが、歩き出してすぐにまたお堂の日陰で休もうとする駆け寄る。

それを困ったフリはしてるけど、自慢の怪力で全然引っ張らないビーニャ。

お堂の左が八幡浜から大洲に向かう主要道の国道197号線で、我々が歩いていたのは八幡浜駅の裏側の千丈川沿いでしたが、ここでその道が合流しました。

実は八幡浜港の旧駐車場からここまでの197号線区間に何本か遍路石のようなものがあることは知っていたのですが、今回歩いてきた道筋からは目的の違う道だと判断します。

俺の身長が3m18㎝あるのですが、それより少し低い位のとても大きな石柱に“お四国山八十八ヶ所”と刻まれた今でも果たして何の道標なのかわからない物なのです。

追記 八幡浜ミニ八十八ヶ所のようなもので“お四国山”を示す石柱のようですね。参考

その道と合流して10秒ほど歩いた時、前方から来る一台の車に目を取られ、よく見ると度々お世話になっている“そらうみさん”が運転しておりました。

ちょうど出掛けたところとのことで、何という偶然…、ほんの少しずれていたら旧道を歩いていてお互いに気付かなかったでしょう。

後ろを歩いていたビーニャさんとそらうみさんだけが話し、俺は前方でその様子を見ておりました。

そらうみさんと別れ『さて、このまま夜昼峠を越えて遍路は終わりにしよう』と思った矢先、遂に後が全く着いてこれないペースにダウン。

俺が少し先にある千丈駅に辿り着き休憩していても一向に追い付いてこない。

やっと追い付いて来たと思えば「もう歩けない」と言い出す。

ビーニャさんの分のジュースを買って休憩の準備をしていた俺ですが、ここで今日の遍路を中止する判断をとります。

「こんな場所で突然終わりと言われたって、何処でテントを張れと言うんや。もう二度と貴様らと一緒に歩かんわ」

これが毎回5割遍路という不全感遍路にモヤモヤさせられる俺の答えです。

カッカ💢しながら電車を待っているとオーバーランして止まった挙げ句、何時まで経ってもドアを開けない電車に乗って、車を回収したら大洲の臥龍の湯に入り、昨日も泊まった内子のキャンプ場へ。

ボーッと日暮れを待ちながら『今後も遍路を続けるとしたら…』と今後の対策も考え、今まで続けてきた長期(7,8日)に渡る夜営遍路の終焉に寂しくなりました。

遂に本日初めてとなる車回収挫折遍路をやってしまったのです。

せめて車を回収せず何処かで野宿が出来ていたら…と、覚悟はしていた車回収遍路との1線を超えてしまいました。

今後は1日の距離を短く設定し、車回収遍路、しかし重い荷物は背負って歩き、カイが途中で挫折したあとは車旅にシフトでしょう。

その夜、俺は遅くまで屋根のぶっ飛んだ焼肉屋(BBQ)で酒を飲みバカ騒ぎをする若者大勢にブチキレることになったのでした。

本当に酒を飲んだ人間と、大人数になった人間は脳を麻痺させるわ。

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