さて、誰かさんの希望により10時5分の巡航船で10km程度ワープしますよ。
一応補足として、33番札所手前と、こちらの36番札所過ぎの巡航船ですが、古来の遍路さん達も利用していた海の遍路道と聞いています。
今回利用したこちらは“竜の渡し”と呼ばれていた海の遍路道です。
その竜の渡しが、現在の宇佐大橋の往復だけの役割だけだったのか、それとも今の遍路が目指す横浪まで出ていたのかはわかりません。
四万十にも今やっているのか解りませんが、“下田の渡し”と言われる渡し舟がありますし、四万十大橋手前にある大師堂にも渡し船があったことを伝える石碑があります。
昔は今のように橋がかかっていた訳では無いので、当然と言えば当然ですが、俺達夫婦はこう言った古来の遍路道は積極的に使うようにしています。
因みに、今回の区切り遍路の初日にテントを張った29番札所前にあるお地蔵さんも渡し舟の到着地だったようですね。
日記に戻りますが、非常に分かりにくいと有名な乗船所は、建物の裏に回った先に待合所と乗り場があります。
乗り場は階段使い堤防を上がって、その先を下った先。
30分ほど前に到着したのでソーラー発電をしながらブログを更新しました。
よく見ると船の入り口が見えますが、船頭さんが船を引き寄せてるうちに、ひょいと飛び乗る感じです。
荷物が大きいと船に乗るとき入り口が狭く、乗船後は船室に下るので苦労します。
出航してすぐに宇佐大橋が後ろに見えました。
大きな船ではないし、座席が低い場所にあるので水面が近く見えます。
この船は通学の足にもなってるようで、あちこちに立ち寄り子供達を乗せます。
さて色んな乗り場を経由しながら、11時過ぎに遍路が降りる横波へ着きました。
すぐ近くにあるYショップで昼食を買い、今回初めて歩く仏坂ルートに備えます。
歩き出して5分ほどすると、後ろで大袈裟に驚く声が聞こえました。
振り返ると、あの人が大袈裟に両手を広げ、
ビーニャ『ああっ!』
俺『どうした?』
ビーニャ『杖わすれた…』
俺『…』
四国遍路中の殆んどを2本のトレッキングポールとスリッパで過ごし、杖がないと「バランスが取れない…」と言う人が、5分も杖なしでよく歩けましたね。
どうせさっきのYショップなので取りに戻ります。
その間俺はソーラー発電に務めます。
杖を回収して今度こそ歩きます。
グニョ!
俺(何か踏んだな…)
ビーニャ「何か臭かった」
俺「俺、今何か踏んだ感触あったけど、う○こ踏んだかな?」
ビーニャ「いや、そんな臭いじゃない」
俺「良かった」
ビーニャ「でも、スリッパの裏に何か付いてるよ」
俺「あっ、やっぱり、う○こ踏んでる」
俺「今日1日運が付いたな」
久し振りにう○こ踏みました。
誰ですか?
初めて歩く仏坂ルートは横に川を見ながらの、のどかな田園地帯でビニールハウスも多かったです。
背の高いサトウキビとか、とうもろこしのような作物をよく見かけましたが、あれは何だったのでしょう?
途中、遍路小屋もあり、ここら辺から嫌な予感が漂いだしました。
ただ単に歩いた事の無いルートだから歩いて見ようと詳しく地図も見ず、『番外札所があるわー』程度で進んだ仏坂ルート。
遍路道標も現代物しかなく年代物は発見できず、
あれ、あれ?山に入っていってるけど、もしかして、
この仏坂ルートは結構山の上に行くようで、俺の想像じゃ、そこら辺の坂程度だったので結構疲れました。
とは言っても、標高150メートとかだと思いますが、出発が船の上だっただけに別格3番札所とかそんなイメージの『どこの山の上に行くんだ?』と言う錯覚に落ちるほど登らされた気がします。
峠を越えたと思ってすぐに番外札所への看板が出てきましたので、取り合えずひと安心です。
しかし、どうやらここから番外札所までの下りが危険らしい。
どうです?この写真では上り坂に見えるほどの下り坂。
ビーニャはあの別格13番仙龍寺への滑るような下りを思い出し、俺は焼山寺途中にある柳水庵への下りの強化版を想像しながら下りました。
そんなこんなで眼下に番外札所“仏坂不動尊”が見えてきました。
ここから見る限りはお堂の屋根もカッコよくカーブしており、期待できそうなお寺です。
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ビーニャさん愛用の少し重めのしっかり充電さん。
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俺愛用の4年経った今も未だに現役初号機さん。
使用上のアドバイスとしては、ついつい普段の日も使いたくなりますが使用するのは旅の時だけにしましょう。
日光に当てる時間が多くなれば多いほど生地の痛みが目立ち、肝心な時に使えなくなります。
節約の自家発電のつもりが結果的に赤字となると思います。