道の駅大月から宿毛駅を目指す 区切り遍路28日目①からの続きです。
道の駅“すくも”の看板が見えてきました。
6日間歩き続けた今回の区切り遍路ですが、遂にゴールの宿毛市が近づきます。
今回の旅では家に来たばかりの保護犬カイを「連れていく」という人が、何故か俺にリードを渡すので、写真の隅っこに茶色の犬がとても多く入り込みました。
2人と1匹の歩き遍路も、どうやら無事ゴールまで歩けそうですね。
カイに疲れが目立ち出した時は中止を決定した程でしたが、3分後に来るはずのバスが、土日で3時間後だったのも必然だったのでしょう。
道の駅すくもが見えました。
何度か見たことだけはある場所ですが、なかなか通らない道なので新鮮ですね。
海の向こうは九州です。
初めて訪れた道の駅すくもは海沿いにあり、芝生で旅人で賑わう印象でしたが、実際は寂しい印象を受けました。
休憩中にお店の方が「水が必要だったらどうぞ」と、わざわざ店から出てきて声をかけて頂いたのはありがたかったです。
遍路地図の看板を見て、松尾峠を越えて愛媛入り出来なかったことに悔しさを感じましたが、とりあえず1匹が無事歩ききった事だけを大成功としましょう。
橋を渡れば宿毛の町という所まで来ました。
自転車遍路の時のとても印象に残ってる橋です。
因みに自転車遍路の時は、大分県佐伯市から船で渡った宿毛市が始まりだったので39番札所が結願寺でした。
その時は、今は休止している宿毛~佐伯フェリーで九州に帰りました。
この町のアバンと言うホテルが何度も利用していたお気に入りだったので、それが見えたときは嬉しかったですね。
先ほどの橋を渡れば宿毛駅はすぐそこ。
ここで俺はビーニャとカイを残し、中村駅まで車を回収しに行きます。
電車マニアも電車よりカイを優先しましたね。
その電車待ちの時間にモスバーガーで昼食です。
カイもちょっと豪華なご飯を食べました。
カイ、本当にお疲れ様。
連日の長距離移動とテント生活、本当に大変だったと思う。
張り切ったのは最初の2、3日だけ。
何度も何度も「もう歩かない」したね。
オレとお前は苦しい思いをして、ビーニャだけはニコニコ犬遍路して。
次の遍路からは全力で反対しような。
俺、協力するから。
今回の旅でカイについて知ったこと。
1つは山、海は特に好きで、アスファルトは得意ではない。
1つは高いところから下を覗き込むのが好き。
1つは体重×1kmが体力の目安。
1つは、前の飼い主がいたとしたら老人夫婦。
特に70~80歳ほどの女性を見ると必死に駆け寄ろうと、鼻で泣く声を聞いたのは始めてでした。
宿毛駅発の電車に乗り込み約30分で中村駅に到着。
そして、車で宿毛駅まで約30分戻る予定です。
ここ2回の区切り遍路の拠点となった中村駅に到着しました。
車に向かう陸橋まで来て「この旅ももう終わるのか…」と急に寂しくなってきました。
「初日にこの下流の橋の下でテント張ったよな…」と、1人で見る見慣れた景色がとても寂しかった。
区切り遍路を開始して初めてビーニャさんと喧嘩した四万十川。
誕生日を2人と1匹でひっそりと祝ったのが思い出されます。
その後、車に乗り、宿毛駅で待つ2人を乗せたら、
道の駅大月に泊まった日に見ることが出来なかった不動滝をビーニャさんがどうしても気になるようなので見に戻りました。
遍路とは関係ないかもしれないけど、何でか気になった滝。
道の駅大月で野宿をしなければ、ここが野宿の候補でありましたが、滝の音はしてしまいますね。
滝行も出来そうな滝でした。
とても雰囲気のいい場所でビーニャさんが非常に気に入ってました。
そこから予定は未定だったので自分達の歩いた道を車で逆打ちすることに。
やはり、ただ帰るだけなのは何か寂しい。
昨晩風呂に入れてないので、この旅3度目となる足摺テルメに温泉入りに行って、夕食を何も準備してなかったので四万十市まで戻り、
四万十川の無料キャンプ場でテント泊となりました。
連日の結露でジメジメしていて乾いていないテントにもう寝たくなかったけど、今回は車中泊の準備はしてこなかったし、ビーニャさんがテントがいいと言うので我慢して寝ました。
この日が一番冷えて、テントがガチガチに凍りましたね。
ここのキャンプ場はとてもいい雰囲気でしたよ。
向こうに見える橋が、凄く良かった。
寒くなければテントの窓を開けてずっと見ていたかった。
安田で野宿した橋を思い出す、いい締めくくりとなりました。
この6日間とてもいい遍路が出来たのかもしれません。
次回があるとすれば、3月末から4月初めの1週間程度。
今回の続きの宿毛駅スタートで39番札所の後、愛媛入りして40番札所、その後篠山神社、そして篠山道経由で宇和島入り。
アラフィフさんと出会った道の駅“みま”でゴールとなります。
その前の2月末にもしかしたら母と車遍路で今治から香川があるかもしれない。
もう俺はザックの重さも感じなくなってきた。
何でも積み込んで、のんびり歩いてます。
ビーニャ「凄いね」
いつの日かテントを張り終え炊事をする俺にビーニャがこう呟いた。
何から何まで出来る俺の事を言ったようだ。
親父を思い出す。
そうか…、親父の教えの全てが間違ってた訳ではない。
俺が強くも、弱くも生きて行けてるのは、間違いなく親父の教えがあるからだ。
常に最悪を想定して生きてた俺には「だったらどうするか?」と言う考えが常に働いている。
前向きな考え方や行動力はそこから生まれているのか?
その後、予想すらしていなかったコロナウィルスにより区切り遍路は2年中断となります。