地元の人とのふれあい遍路 区切り遍路42日目③からの続きです。
精米所でベテラン遍路のおっちゃんと話をして、そこから国道11号を越えた先のコンビニで明日の昼までの食料を買い込みます。
我々はこれから四国八十八ヶ所で第3位の標高の高い横峰寺を目指し、明日の昼過ぎに小松の町に降りてくる予定です。
それまではずっと山の中なのですが幸いなのは、ここから約7km先の登山口に山水が湧き出ていることを知っているので、飲料水には困ることは無いでしょう。
写真からも分かるとおり、山の谷間を奥に向かってずっと進んでいきます。
県道を進みだして直ぐに石土神社の石の鳥居がお出迎えです。
“石鎚神社”ではなく”石鉄神社”なのが不思議ですが、
鳥居には石鎚山ではなく”石鈇山”と書いてあるように見えますね。
その先には昭和6年(1931年)に作られた石土神社の高灯篭があります。
石土神社に隣接するように番外札所の妙雲寺があります。
入口から既に遍路石4基のお出迎え。
しかも「ぎゃく生木地蔵尊」とか、やっぱり88札所以外の霊場を示す遍路石が大好き。
勿論、4基とも元からここにあったわけではなく、どこからか寄せ集められた物であろう。
クウも耳をひらひらさせながら見ています。
折角なのでお参りしましょう。
今までは素通りしていた番外札所にも積極的に立ち寄り、お賽銭を入れます。
妙雲寺を後にしてどんどんと山に向かって南下して歩きました。
「このままこの山を突き抜ければ45番札所に戻るのか~」と、まだ記憶に新しい久万高原町の千本峠を思い出しながら歩きます。
暫く歩くと大きな東屋があったのでそこで本日最後の休憩をしていると1台の車が停まり、
「邪魔じゃなければ少し話をしよう、あんたらをさっき見かけてね」と年配の男性に声を掛けられ、ぜひぜひと結構長く話し込みました。
大分手前で犬を連れて歩いている俺達を追い越し気になったらしく、「犬が好きでね」と犬の話や、貴重な山の話など沢山聞けましたね。
「四国の山は殆んど猟で歩いて回った」と、ずっと憧れている石鎚山の登山道である黒川道の話など聞けて、今宮道、今は通行止めの黒川道、そしてもう一つの道について教えてもらいました。
やはり地元の人の話は貴重ですね。
それに山を歩いている方は年齢を重ねてもシャキッとしているし、小柄ながら眼光鋭い人が多いですね。
休憩を終えて歩き出し、大師堂を通り過ぎます。
時刻は16時前、この調子だといい時間に野宿ポイントに辿り着けそうです。
大師堂の奥にこの道の名物がチラッと写ってますね。
誰もが気になると言うこれ。
個人的には柿畑の倉庫なのでは無いだろうか?と思っておりますが答えはどうなのでしょう?
実はこの先からアスファルト道を外れた遍路道があるようですが、それは次回の時間がある時に取っておきましょう。
果たして道が残っているのか、遍路石は結構残っているようなので楽しみにしておきます。
四国に住んでいたとしたら、各地の遍路道や遍路石の研究や復元作業が出来るのにな…。
ここ辺りから川を横に見て癒されながら歩きました。
山を通る遍路道は、左の少し上をこの道に沿って通っているようです。
こうして歩いて旅をしていると、車道には明らかに違和感を感じ、今は使われていない旧道を見分けることもあります。
こんにちわー!
生きてますかー?
ここは日本ですかー?
遍路道あるあるですね。
野宿ポイントも大分近づいてきたころ、今回改めて見直してみたかった御来迎所がありました。
右は文化14年(1817年)二月〇〇出現とされ、左の方には、
「神佛は死んで無きものではない 生きて此世で救けるものなり 教えに従うところには自由自在に現れて救けるものなり 昭和四八年九月一二日 午前十時三十分より四十分まで」
と、ここに最低でも二度神仏が姿を現したと言う石碑が残っております。
俺もこの時、ある大きな依頼を受けてとても動揺していた時期であったので「薬師さんでも現れて筆を俺に手渡してくれたら勇気も出るのに」と何処かでも吐いた言葉を言いながら、静かに目を閉じ、神を待ちました。
そんな都合よく現れるはずねーやろが。
そんな期待外れにやさぐれながら歩く俺。
もう一度、空を眺め、どこかに光り輝く神様を探す。
いや、そこまでいいから。
なんつー、奇遇や。
これって何の意味や?
もっと遍路したら薬師さんに会えるってことか?
なら、もー、いいや。
そしてちょうど17時に辿り着いた野宿予定地。
最近、リニューアルされた横峰寺登山道入り口の湯波休憩所です。
ここで左奥に見える県道は行き止まりとなります。
とりあえず今日無事に野宿地に着いた安堵感と、なんだかんだ言って寒いし、犬も休みたいと言っているので早くテントを張りましょう。
そう思い入った東屋で目に入ったこれに「そうそう!」と頷く。
ずっとコメントは控えてたけど、俺もこれに書かれているように、この貼り紙には共感できず見るたびずっともやもやしてました。
命令口調な部分なのでしょうか?それとも遍路は何かを残さないといけない強制の部分でしょうか?
数ヶ所の東屋で見かける落書きもそうです。
この旅をまるで大学生の青春旅のように、旅で気分が盛り上がったまま落書きしている。
うーん、確かに遍路は大冒険ではあるけど…、そんな特別な、凄いことでもないんだよね。
歩いたから何かが変わるわけではなく、また、人生の転機が保証された旅でも、悟りの世界がそこにあるわけでもなく、旅は旅なのです。
やはり大切なのは”点”ではなく”線”であること。
思うことあってこの遍路に繋がり、そして大冒険をし、遍路を終えた後も何らかの形でその後の人生に遍路の経験が生きる。
遍路で何かを悟る人も、人生の転機になった人も確かに多くいらっしゃいます。
しかし、それは”遍路をしたから”と言うよりは、それに至るまで、そしてその後の一連の流れがあってのことだと思う。
俺の抱えているアルコール依存症と言う世界でも、皆さんには理解しにくいと思うけど”悟り”に似た世界を目にすることは非常に多いです。
やはりそれは、苦しんでいた過去があり、手離した酒があり、見つめなおした生き方があり、断酒道と言う道を歩んだから辿り着いた”今までの自分は間違っていた”と言う悟りの境地。
「八十八ヶ所を巡礼したから!」と言うような、「酒を断ったから!」だけでは、それは言ってみれば長い人生の瞬間的な出来事でしかないのです。
断言しますが、遍路を終えても、そこにあるのは今までとそんなに変わらない日常。
もっと言えば、夢を描いて四国を歩き始めて10分もすれば、そこは自分の思っていた異世界とは違って至って普通の日常が流れているのです。
まぁ、せっきょーはいいのではやくねてください。
おやすもなすい。
ここで野宿するのは1つの夢でもあったので良かったです。
このよ、ぼくは、やまみずをひっしにわかしてしゃわーをあびようとして、
だれもいないまっくらなやまのたにまで、いざかぶろうとしたしゅんかん、
すべてのおゆをだいちにこぼしてしまったんだ。
そして、まっくらなやまのなかにのこされたのは、ほぼはだかのぼく。
たださむいだけのたいけんでした。