この記事は2021年11月末から12月初めに行った歩き野宿遍路の帰路について書いております。
廃道の鳥居
数日前に歩いて篠山道を下った時は時間が無くて見つけることが出来なかった篠山神社二の鳥居を、秡川を渡った先の山中で見つけました。
安政六己未11月と彫られております。
巳にも見えますが1859年(安政6年)だとすると己(つちのと)未(ひつじ)となっております。
詳しい見方はわかりませんが、言えることは、まだ日本人が髷に刀の頃からあるってことですよね。
鳥居の足元には大きな石碑もあります。
鳥居を潜った先は道が深く削れており、その先は重機で切り裂いた道により見分けがつきにくくなっておりました。
少し歩いて進んでみましたが、車に🌋お山さん🌋達を残して来ているので、途中で遍路道の探索は諦めます。
足元に大きな石碑が落ちています。
篠大神でしょうか?それとも篠土神でしょうか?
これを静かな山の中で見つけたときはとても寂しくなりました。
逆打ち側から鳥居を撮影。
この道をどれほどの人が歩いたのだろう?と考えることはそればかり。
このように廃道にならずとも、現役の道ですら篠山から遍路は離れていってしまっている。
暗くてわかりにくいが鳥居の上部中央にはハッキリと篠山神社の文字が刻まれております。
落ちずに祈ることしかできません。
この辺りはどこも林業重機によりズタズタに切り裂かれた道です。
足元を注意深く観察しながら歩けば、遍路道の名残を見つけることができます。
その後、車に戻り予定通り秡川温泉に入り休憩を入れます。
この旅で3度目の入浴となるほど、この温泉がお気に入りとなりました。
少林寺「飛大師」
秡川温泉を出たら、歩いてここまで来たときは見つけることが出来なかった数キロ先の番外札所少林寺へ向かいます。
車で来てもどれが少林寺なのか分からないほど民家に溶け込んでしまってます。
手前の遍路石には手のひらでの案内と「へんろ」の文字が山の上へ導いております。
少林寺には駐車場が無かったので、その場にいた地元の方の許可を貰って麓にある廃墟の敷地に車を停めました。
長く使われていないのか地盤が非常に悪かったです。
階段を上って初めてそこに寺があったことに気づく。
左から大師堂、本堂、右に無人の本坊でしょうか?
無人で古びた姿に現在の篠山の在り方を感じさせられます。
通称、飛大師。
消えかけた篠山奥の院の文字が悲しい。
文字と同じように、修験の山である篠山の存在が人々の記憶から消えようとしています。
過去には篠山の札掛の役割もしていたと思われる神聖なお寺でした。
こちらは六地蔵になるのでしょうか?
ここから山の上に向かって古の遍路道が続き、山頂の御槇神社を経由して御槇の集落へと下っていたようですが、数日前にここを歩いた俺は少林寺に気づかず車道を進んでしまいました。
次はいつこの道を通るチャンスに恵まれるでしょうか?
願わくはこの功徳をもって普く一切に及ぼし
我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜん
今回歩いた篠山道の記録が誰かの役に立ち、
一人でも多くの記憶と、道しるべになりますように。