奥の院いっぱい 区切り遍路36日目③からの続きです。
宇和島市のアーケド街近くの弁当屋で昼食を手に入れて再び歩き出す。
大きなアーケード街を通り抜け、コンビニで大好物のコーラを買います。
未熟者ゆえに、断酒10年目を目の前にしながらもビールに変わる痛みがまだ必要なんです。
アルコール成分でも味でもなく、喉に走る痛みが必要でした。『だから焼酎でもワインでもダメなんです。
毎月Amazonで定期購入しているコーラだけで約5500円。
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年間にすると66000円。
家計の見直しを始めたので、ここの節約をしたいと思うのですが、病気ゆえに必要なんです。
酒も煙草もやめた代わりとして、このくらいは許してください。
女子会のランチや化粧品み
たいなもんです。
我が家の1番の節約は、四国に上納するのをやめることなんです。
是非ともやめましょうよ!
うん、そうしましょうよ。
アーケード街まできたら別格6番札所龍光院はすぐそこ。
しかし、弁当を何処で食べるか迷いながら歩いていました。
龍光院の境内で弁当を食べることを許されたとしても、我が家には2匹の狂犬がいます。
だから神社とかお寺では本当に気を遣うのです。
だから犬が生きてる間だけでも遍路やめましょうよ。
うん、そうしましょうよ。
階段の途中に中務茂兵衛の遍路石。
『👈👉本堂 ぎやく観自在寺』
『👈和霊社 四十壱番ゐなり』
うがうー
宇和島付近では遍路石に和霊社の文字を結構見かけますが、特別な場所だったのでしょうね。
和霊神社は一度も行ったことが無いので今度行ってみたいと思います。
結局、龍光院のイスを借りて昼食を済ませました。
このお寺って本当に整っているし、優しいし大好きです。
唯一残念なのは、目の前の宇和島城の展望を邪魔する大きな電波塔。
あれのお陰で本当に宇和島城が見にくい。
いや、龍光院が悪い訳じゃないけど。
さっき馬目木大師でシワシワしてたのに、今度は伸びてます。
お寺だろうが、何処だろうが自由奔放に、何故か怖がられることの多いこの子は本当に天真爛漫な子。
龍光院を後にしてすぐに遍路石を見つける。
今まで気が付かなかったけど、龍光院の裏口に当たるのかな?その柵の中に立派な遍路石。
『👈👉和霊社 奥の院』
『右 いなり』
明治40年の中務茂兵衛さん219巡目の遍路石。
俺も最近、1巡に1個ずつ何処かに遍路石を置きたいなと思っている。
篠山とか篠山とか、篠山に。
デカい石、担いで登る、遍路道。
この近くにお接待で泊めてもらった思い出の場所がある。
通るたびに、あの家主さんと会いたいと思う。
宇和島駅横の踏切を渡ります。
ここまで来るとゴールの務田駅まで約8kmと近い。
宇和島で最もめんどくさい細い裏道を歩くと、わき道にいっぱいのお地蔵さん。
興味津々で見てると散歩中の近所のおばさんが「私も2回ぐらい遍路したことあるのよ~」と、ここが処刑場跡の関係だと教えてくれる。
この場合の殆んどは後になって「車で回ったのだけどねー」となる。
俺も車で四国を旅した経験は豊富な方だと思うけど、ここ数ヶ月で真剣に納札を白に戻そうかと考えています。
俺の赤い札の経験と、白い札の徒歩での経験は全く違うもので、自分の経験不足に気づかされる。
それくらい初めての歩き遍路は俺の経験に衝撃を与えた。
既に赤くなっていた納札を手に始めたたった一回の徒歩が俺に全く別世界を見せ、俺の伸びた鼻をへし折ってくれたのでした。
便利な時代となり今では”車遍路”と言う言葉が出来上がっております。
俺はそれに物凄く違和感を感じてしまっておりますが、それも確かに現代の遍路なのでしょう。
しかし”遍路”は”遍路”であり、”車遍路”は”車遍路”であります。
1度も歩いたことの無い先達と呼ばれる人達が、境内を朱の杖とポコポコ叩くミニ木魚を持って駐車場を往復する時代。
カラフルな札に誇らしく書いた数字をワザワザ目立つ場所に置いたり、人に配って回る時代。
「足が痛い…」と1グラムも、1ページすら軽くしたいと言う時代はもう古いのでしょうか?
こうして文章を書いていても”遍路”、”歩き遍路”、”車遍路”と、この言葉を使うことにとても抵抗を感じているこの頃です。
本日写真に載せた2つの遍路石に刻まれる和霊社の文字。
しかし現代の”遍路”とはどうも88個のお寺だけを言い、”まんぐわんじ”や”和霊社”は含まないようです。
俺は古の遍路達の後を追いたい。
四国霊場を歩きたい。
歩きを重ねると見える世界が変わってきます。
歩けば寺より、その道中が大切になり、その道中に探すのは過去の思い出。
過去の自分の姿と記憶と古の痕跡。
どの世界にも達人とか詳しい人がいて、初心者に「今はわからないだろうけど」と伝えたいことがある。
俺は達人でも詳しくもなく、札もカラフルでは無く、四国霊場に何故か縁あるただの人だけど、自分の歩いて感じた実体験を素直に表現したいと思う。
全ての人に好かれないといけないと勘違いしていたアルコール漬けだった頃とは違い、今は俺のことを嫌いな人や、俺と違う意見を持ってくれる人の存在を有難く感じてます。
ずっとニコニコしている人生も疲れる。
あなた達は俺の息抜きを受け止めてくれたり、聞き流してくれている。
たった1回すら時間やお金や様々な事情で叶えることの難しい貴重な旅なのだから、1日も早く終えるより、1日も長く旅に時間をかけて、欲張りなほど色んな経験をして欲しいと思います。
始める前は長旅に感じても、終わってみれば本当にあっという間の旅です。
だからと言って四国病になるなよ。
宇和島の街を抜け、三間町へ続く嫌われものの登り坂に入りました。
だらだらと登ればそこがゴール。
それがまた地味に長い。
右に本来の遍路道を探しながら、そして、この先のまだ歩いたことの無い窓峠のことも考えながら、ゴール間近でも迷いながら歩く。
途中に探していた遍路石とお堂を見つけました。
何度も通った道なのに、ここの存在を全く知らなかった。
本来は右の川の向こうを通る遍路道にこのお堂があったそうです。
お堂の前に徳右衛門遍路石。
これを見るまでにゴール間近の気の緩みから2ヶ所の遍路石を見落とす。
「是よりいなりへ一里二丁」
その手前の務田駅で今回の旅は終わりで、その先は久万高原町の45番札所まで歩いているので、次いなりへ行くのは何年後になるでしょうか?
果たして次があるのでしょうかね?
ねっ?ねっ!?
三間町へ向かう長い登り坂の中盤に思い出深い遍路小屋があります。
夫婦で通して歩いた時に知り合った香港ガールが野宿した場所であり、俺の自転車遍路の時の初めて目にした遍路小屋でもあります。
旧遍路道の参考にさせて頂いているサイトによると、最近までここに遍路石があったようですが現在はこの先の窓峠の分岐点に移設されておりました。
今回の記録はここまでで、いよいよ次回がこの旅ラストの記録になります。
この日の記録を書くのに3日かかりました。
遍路に対する思いも言葉を選ばないといけない時代。
効率を求める今の時代に、本来は自分の身体一つで行っていた遍路も、やはり効率を求められ。
自分の足で測った四国の広さも今はスピードメーターの中。
思い出と言う景色の画質も荒く、脳裏に焼き付くことがあるのかしら?
アスファルトと白線と3色の旅。
否、
息を切らし、痛みや暑さ、寒さと共存する、鼓動と古道の旅。