遍路

千本峠に備えて 区切り遍路37日目①

前日、遂にロシアのウクライナ進行が始まってしまい、大きくショックを受けたまま出発となった3ヶ月ぶりの遍路。

結果から先に伝えるとすると、この旅はずっとウクライナのことが頭から離れず、心ここにあらずな状態で終わりを迎え、それは今となっても同じ状態と言うか、戦況がますます無残になってきている分、書く気力すら奪われている状態です。

そんな心理状態の中、キーボードを叩き始めました。

多くを語りだすと、決して安くは無い出資をして移動を決めたブログですので、歩みが止まってしまいそうで…、だから無心で書いてみようと思っています。

この旅は出発前夜から収集のつかない喧嘩により、本当に疲弊して迎えた遍路でした。

深夜まで続いた恒例のことにより非常に睡眠不足で迎えた朝にまた、さんざん注意していたことを無視され起きた火事騒動により更に酷い状態となります。

昨晩から「こんな喧嘩に時間をかけるより、今すべきは旅の支度」と伝え続けていたのですが、一度火が付くと収まらない「納得いかない病」により完全に準備不足で迎えた旅初日。

案の定、帽子は忘れる、スパッツも一着忘れる、他にも・・・と言った最悪の出だし。

四国に船で渡って暫くしてやっと収まりが付き、どうにか出発地点の久万高原町へ辿り着くことが出来ました。

この場を借りて言わせて貰えば、納得行くか行かないかはその人の知能の問題。

納得いかないものを、納得いくような考え方、知識、折り合いの付け方、そして、今一番優先すべきは「納得いかない自分の我」以外にあることに気が付いて欲しくて4年ほど前から遍路の舞台をお借りしております。

久万高原町役場にあらかじめ問い合わせていた駐車場に停め、改めて駐車したことを知らせてから今日も耳をひらひらと出発しました。

鹿児島と宮崎の県境からここまで来て、近所のスーパーで買い物をしたり、服を着替えたりしたので出発は16時頃。

既に遅い時間ですが、今日は44番札所裏の峠御堂山中泊の予定で2.5km程度の移動ですので問題はありません。

標高を150mほど登る楽ではない峠なのでゆっくりもしてられないのですが、毎度のこと、背中に全て背負ってますので焦りません。

 

念の為に書いておくと、ネット上には古い情報も沢山残っており、その一つに「久万高原町役場に駐車して遍路をする」と言うものを見かけますが、これは迷惑となっているとのことでした。

我が家は公共交通利用促進駐車場を利用させていただきましたが、長期になる可能性があるのと、帰りに公共交通機関を利用する旨を伝えて、案内には「連絡不要」とありますが、念のため電話確認を入れました。

役場としても「長期駐車になると心配するので役場に来て一言貰いたい」との事でしたし、停められる数は多くは無いので注意が必要です。

久万高原町では国道ではなく遍路道を歩くといくつも立派な遍路石を見かけます。

向こうには大きな門と今晩テントを張る予定の峠御堂が見えます。

テクテクと歩き大きな門を潜ります。

ここからが44番札所大宝寺の参道となるのでしょうか?

数か月前に槇の谷ルートで歩いたばかりの道です。

すぐそこにも遍路石。

今回の旅で見かけた遍路石は比較的新しい明治時代の物が多く、手の形や、遍路石の材質、大きさ、袖付の指さしだったりと見る分にはとても楽しめました。

しかし古い遍路石が好みなので、そこまで熱中して見ることは少なかったです。

大宝寺の手前まで歩いてきました。

ここら辺から山も近づき日陰となり、道路脇には雪が残っています。

立ち止まると寒さを感じます。

前回、立ち寄ったお寺なので一度は通り過ぎたのですが、やっぱり目の前は通ろうということになり、車道から参道へシフトしました。

上から見るとこんなにも雪が残っています。

ちょっと予想以上でしたが、雪に慣れていない九州人なので車が走れる程度で良かったです。

四国では2度、雪により車で立ち往生を経験しているので、もう本当にコリゴリです。

雪に対するスキルは0です!

44番札所大宝寺本堂が見えました。

 

さて、何事も無かったように通り過ぎましょう。

旅は今からなんです。

今日は時間もないし、風呂にも入れないので、目の前の階段を上る必要は、

どこにも、

御座いません。

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