遍路

宿毛の町を離れる 区切り遍路31日目 ④

宿毛のローソンで今晩の水や食料を積み込み、いよいよ高知県と愛媛県の県境にある松尾峠へ向かいます。

いよいよ修行の道場である土佐のクライマックスです。

松尾峠が曲者なのは単体の峠ではなく、小さな峠を三つ越えて、その後に標高10mから一気に標高270mまで登らなくてはいけません。

その一つ目の登りはローソンを過ぎてすぐに現れます。

住宅地を進むと徐々に登り坂に入ります。

急こう配を一気に登り始めます。

眼下には宿毛の街と宿毛湾が広がり、向こうの山には今朝歩いた坂ノ下集落も見えます。

この景色の中に愛車が停まっているのですが、この旅は便利を捨てた徒歩の旅です。

車に戻って車中泊にすれば今晩もお風呂に入れるけど・・・、と出発前からずっと迷ってましたが、出来る限り野宿と歩くことにこだわりましょう。

約2年前に向こうに見える山の裾を、足摺岬から20km遠回りと言われる月山神社ルートを越えて宿毛に辿り着いてから、コロナ禍により続きが全く出来ていなかった。

残念ながら再び新種の変異株が見つかってしまったけど、どうかコロナウィルスが早く落ち着いてくれることを祈ります。

お馴染みの、宿毛から始まる「こんにちは」の看板や、この可愛い道しるべにとても癒されます。

1人での遍路となると会話が出来ないので「こんにちわ」の看板とかに返事をしていましたね。

俺は只でさえ独り言がとても多い人間ですから。

遍路道沿いには遍路石や石仏がありますが、それよりも遍路に関わる墓なのか、そんな古いお墓が沢山あります。

今とは違ったとても過酷な旅に昔の遍路達は一体なぜ来たのでしょうか?

信仰心から?家や村を追い出されたから?

本を読んでいても意外と目にするのは村を代表して健康や安全祈願の為があります。

今回の旅でさらに感じたのは、遍路道沿いに増えたコンビニなどにより、ずっと遍路をしやすくなった姿でした。

一昔前の遍路と同じ難易度とはとても思えません。

害獣対策のための柵がずっと張りめぐられた遍路道。

これにより通行不可になり失われた遍路道も多いと聞くが、生活と文化のどちらを優先するのかは、その土地に住む人の権利なのでしょう。

遍路道を歩いているとわりと見かける罠ですが、幸い歩き遍路中にイノシシを見たことはありません。

クウ!行け!

サルは結構見かけますが気が強く、蛇もマムシとなると本当に気が強く逃げませんね。

ちなみにこれを書いている4日目の今日は、篠山の麓の山の中で罠に嵌まりそのまま骨となっているイノシシを見て驚きました。

一部決壊しておりますが、遍路道沿いにはミカン畑なども多く、こんな道を車が?と思うようなところでも車が走っています。

残念ながらここは通行止めですね。

少々の山道ならスリッパで登りますが、ここから先はトレッキングブーツの方がいいでしょう。

ブーツに履き替えると、その強度に安心感を覚えます。

 

荷物が凄く重いので底の堅いブーツはしっかりしてて非常にあいますが、長距離、しかもアスファルト道を歩くとなると全く別の話です。

アスファルト道だとスリッパの方が圧倒的に快適でマメ知らず、しかしその柔らかさが重たい荷物により足がつぶされ仇となります。

この2つを使い分けることが遍路ではとても重要となりますが、余程の山道でない限り俺はスリッパのみで歩き、

雨の日や夕方頃から荷物の重さに潰されてしまった足の保護にトレッキングブーツを使ったりしております。

8:2でスリッパの使用率が圧倒してます。

一つ目の峠を越え集落が見えてきました。

その集落もあっという間に通り過ぎ、

2つ目の峠。(峠ばっかりで写真は違う場所かも)

2つ目の集落に下りてきて、といった感じで、いくつも上り下りして本番の松尾峠に向かうのでした。

 

 

時間は午後3時頃になり、まだ今日の野宿ポイントを峠の東屋にするのか、麓の子安地蔵堂にするのか決めかねて歩いておりますが、峠の東屋ってのもまたホラーですね。

ただでさえ山の中なのに、お堂あり、なぜかトイレあり、城跡ありのホラー感満載の場所。

しかし、こんな旅も多く続けていると、霊の存在は大いに信じておりますが、それを経験することはほぼ無いことがわかってきます。

何より、護ってくれる存在の方を強く感じております。

これを書いてる区切り遍路5日目の午前2時も凄い雷雨の後の強風で揺れる木の音を聞きながら。

しかし、怖さよりも、自然を感じる貴重な時間となっております。

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