遍路

遍路石に敵意をむき出す 区切り遍路43日目②

愛されている登山道と山水 区切り遍路43日目①からの続きです。

 

前日に登山道入り口の湯浪休憩所で野宿した我々は、朝いちに準備を済ませて60番札所横峰寺を目指した。

四国八十八ヶ所には難所と言われる山寺もいくつかあるが、決して標高が高いわけではない。

どこも2,3時間も登れば着くような寺で、標高約750mの横峰寺もかかって2時間程度の登りである。

4分の3程度を登り終えた頃、古坊の地蔵堂と思われるものが左手に見えたので辺りを少し探検する。

以前はここ付近に古坊という村があったそうでそれは驚く話ではあるが、冷静に考えてみれば石鎚修験道の途中である横峰寺道であり、途中に民家があっても不思議ではない。

ここから先、横峰寺から星ヶ森を越えて、モエ坂を下り黒川道経由で石鎚山に登るとすれば、ここよりもっと山深いその道中に民宿など村の廃墟が残っていることは有名な話だ。

空が大分明るくなってきた。

標高を登った証拠として喜ぶが、そこからがまだ地味に長い。

一歩一歩息を切らしながら登っていく。

暫く歩くと頭上に横峰寺の山門が見えた。

「着いた~」と定番の声をあげるが、勿論後ろには届かない。

階段の最後に腰かけ、ゆっくり登って来るお山さんカイを待つ。

 

それにしても歩いて来るからこその山門だ。

今となっては採石場ルートが主流となっているだろうから、果たしてどれくらいの人がこの道を登るのだろう?

山門横から番外札所星ヶ森へ続く道しるべと山道が存在するが、我々は横峰寺の上の林道を使うこととした。

まずは横峰寺の参拝を済ませる。

この日は日曜日であったためチラホラ白衣を着た人たちを見かける。

横峰寺の参拝を終えると駐車場側まで少し登り、その途中から右に折れて林道を星ヶ森へと進む。

これが地味に長く、地味に登る600mほどの道だ。

先ほどの山門から直接星ヵ森へ向かうとしたら、一度登って、そこから横峰寺まで下ってこないといけない。

それが面倒で我々は横峰寺を先に済ませることとしたのだった。

星ヶ森にもチラホラ人が歩いて来ていた。

弘法大師が42歳の時に厄除けの修行をした伝説の残るこの場所。

「へぇ~」で十分だが、是非とも西日本最高峰の石鎚山を眺めには来て欲しいおすすめポイントです。

今日は石鎚山がまぁまぁ綺麗に見えました。

手前に写る”かねの鳥居”は1742年に作られたもので、トリックアートのように実際この地に憧れて訪れた人をガッカリさせる名所でもあります。

鳥居の横に俺が立ったとしたら身長40mくらいに見えるかもしれませんよ。

その横には、やはり憧れから下を眺めに行ってしまうモエ坂、石鎚山へ続く遍路道があります。

俺は未だにこの道を歩いたことが無く、恐らくこの道が俺の遍路経験で一番の難所を迎えることとなるでしょう。

いつかは歩いて見たいものですが、犬連れである問題や、野宿となるので食料…、と言うより水問題、そして歩くとしたらやはり横峰寺道から始まり、石鎚山山頂を目指したいので結構な大冒険となるでしょうね。

憧れの地、モエ坂の麓の地蔵さん、そして黒川道の廃村に残る石仏、行者道の蔵王権現、恐らく今の遍路地図には載っていない廃道を俺の遍路地図はまだ示しています。

横峰寺と星ヶ森を打ち終えると、車道ルートを暫く下り、途中から遍路道へと入ります。

採石場ルートに繋がるこの道はお馴染みとなっているでしょう。

それよりも何よりも、横峰寺を車で訪れたい人泣かしの有料道路を”どんげかせんといかん”ですよ。

森林組合の管理している有料道路の値段1850円って…、足元見すぎじゃないですか?

ねぇ、どうでしょう皆さん、歩いて登りましょうよ!

さて、ひと時のアスファルトから離れ、再び土の道へと入ります。

と言うより、岩の道ってイメージの強い横峰寺からの下りは雨の日には注意が必要でしょう。

勿論、それなりの勾配で下りますよ。

結構長い下りの途中で”おこや”と呼ばれていた茶屋跡の休憩所に辿り着きました。

今回お山さんが凄く楽しみにしていた道がここから先の61番奥の院”白滝ルート”です。

お山さんの1巡目は今回と同じ湯浪休憩所から登り、おこや休憩所から採石場ルートへ進みハイウェイオアシスで野宿となりました。(注 今は野宿出来ません。キャンプ場を利用してください)

今回歩く白滝ルートは初めてとなり、勿論61番奥の院も初めてとなります。

その道中や、奥の院の滝行の滝を楽しみにしているようです。

おこや休憩所の分岐点にある遍路石がそのどちらもを示しております。

個人的には採石場ルートは正式な遍路道だと思って”いなかった”ので、軽く敵意をむき出しでこの真新しい遍路石を調べます。

まず石が最近の時代のものであることと、施主が”長崎県稲佐町”であることからそこまで古い時代の物ではないと判断した。

神仏分離の影響により1871年横峰寺は廃寺となった。それにより小松町の清楽寺が60番札所となったが、1880年に大峰寺と言う名前で60番札所に復活した。それが1908年に横峰寺と言う名前に復帰したようだ。その時代に湯浪ルートが使われない時期があり、採石場ルートは使われるようになったのだろうか?遍路道は謎だらけである。

 

結論、採石場ルートはきっと素晴らしい歴史ある遍路道。

しかし、林業ズタズタの道。

つらたん。

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