いろんなハプニングと初めて歩く遍路道に苦戦しましたが、どうにか八丁坂を登った分岐点に辿り着きました。
当初の予定通り、ここのベンチで休憩します。
先ほど蜂に刺されてしまったクウの様子も観察します。
歩けるようになったとはいえ痛みがまだあるようでした。
上の写真の左側にとても大きな遍路石と、その下にいくつかの遍路石が確認できると思いますが、それについて少し話したいと思います。
このとても大きな遍路石には”南無遍照金剛”と彫られており、1748年に今回歩いて来た「槙の谷ルートこそ打戻無しの本当の遍路道である」と言う主張で建てられたものだと言われています。
今現在の話をすれば、愛媛県の内子町から鴇田峠ルートか農祖峠ルートで久万高原町まで登って来るのが一般的で、畑峠や”ほうじが峠”を利用する人は殆んどいません。(楽だから農祖峠が特に選ばれる)
内子町から久万高原町まで登ってきた遍路はどんな形であれ久万高原町で1泊以上することになりますが、44番札所から45番札所へ、そして44番札所方面へ向かい46番札所のある松山市へ下る、来た道を戻る”打戻”と言われる歩き方をします。
それに対して今回俺達が歩いた槙の谷ルートは、農祖峠や”ほうじが峠”ルートからそのまま45番札所へ向かい、その後44番札所へ向かう、来た道を戻らない歩き方をします。
そのどちらの歩き方も経験した身としては、草木が生い茂っていたことを除けば圧倒的に槙の谷ルートの方が楽でありましたし、理に適った道である印象を受けました。
これについては後に打戻の険しさについて書く必要があると思います。
しかし楽とは別に槙の谷ルートは宿泊の問題をやや含みます。
打戻ルートに比べて圧倒的に民家や宿などがありませんので、宿に荷物を置いて歩くと言うことも出来ません。
それもあってか現在では殆んど使われなくなり、先に書いた八丁坂にある看板に書かれていたように1748年頃には”本来の遍路道”である主張が行われていたのかもしれません。
俺も2度ほど聞いた現代に噂される”とある宿の女主人”の黒い噂でありますが、遍路がそっちの道を歩いてしまっては宿泊業を営む者として不都合があるようで遍路道が意図的に操作されることもあるようです。
真相は分かりませんが、火の無い所に煙は立たぬと言うように、本来歩けるはずの遍路道が「歩けない」という不審な看板や噂は、過去からの遺産に対して本当に計り知れない影響を与えるものですね。
一つの注意としては、遍路宿や地元の人から聞く話を鵜呑みにすることはお勧めしません。
その人が”実際に歩いた経験があるのか”を特に注意して聞かなければ、歩いた経験の無い遍路道の話を聞いてもそれは想像でしかありません。
俺の経験では遍路宿やお接待所の方の殆んどは歩いた経験が無い方が圧倒的に多く、誰かに聞いた話をしているだけです。
だから俺は「通行止めではないか」と言う部分に重点を置いて他の話は聞き流しております。
今回のように一部草木が生い茂り困難ではありましたが槙の谷ルートは道標や石仏なども多く十分に歩ける道でした。
それとは別に「槙の谷ルートだと順番通りにお寺を打てない」と聞こえてきそうですが、1748年の主張は別としても、現代の人たちが知る四国八十八ヶ所と言うのは空海が作ったものではなく、江戸時代中期に真念が強く影響して形作られたものと記憶しています。
「じゃあ、何で800年頃の衛門三郎は空海を追いかけて逆打ちが出来たのだ?」と俺は突っ込んでしまうのですが、それは置いといて、古来の遍路に八十八ヶ所と言う番号は重要でなかったのかもしれません。
次の目標としては歩いたことの無い畑峠や”ほうじが峠”、千本峠を体験することを目標にして、それが叶った後は理に適ってて楽な槙の谷ルートをメインに使うことになりそうです。
さて、長い話は終わって八丁坂から45番札所岩屋寺を目指して尾根道を歩きますよ。
険しいと言われる久万高原町の遍路道ですが、今まで歩いて来た道が道でしたから本当に歩きやすく感じました。
本音を言うと「八十八ヶ所メインルートって初心者コースだな」と感じました。
誰かの力によってとてもきれいに整備された道は安全で、更にそこを人が歩けば道は踏み固められ道となります。
楽だけど、何故か面白くない。
この45番札所へ向かう尾根道は意外と遠くアップダウンもある遍路道です。
岩屋寺手前になると岩肌が目立つ下りの道になり、雨の日は非常に気を遣う道となります。
やっと逼割(せりわり)行場が見えてきました。
行場でも有名で聖地とされていますが、45番札所納経所で鍵と御札を受け取り、険しい山道に置いてある100均のゴミ箱に御札を1枚ずつ入れて岩場を登るそんな場所です。
途中で虚しくなってくるし、物凄く時間もかかるので御札は記念品にして岩を登りましょう。
岩屋寺の山門が見えてきました。
遍路道からしかこうして玄関を跨げないのは貴重な体験でありますし、「まだまだこれからじゃ岩屋の坂と人生は」よりもっと先がこうしてあります。
45番札所岩屋寺、岩に張り付くような寺が初めて見る者を圧倒します。
初めて見ないものは写真1枚しか撮っておりませんでした。
このお寺は多くの人の印象に残る寺として有名ですが、岩に張り付くと言う意味では別格13番札所の仙龍寺の方が圧倒してますね。
お気づきの方も多くいらっしゃると思いますが、歩き始めてまだ数時間の日記も何故か8話目です。
これが何を意味するかと言えば、新しく歩いた遍路道が珍しく楽しかったと言うことで、逆に八十八ヶ所のお寺なんて写真1枚で終わってます。
俺のブログは遍路道のブログなのです。
寺は休憩と読経する場所。
帰りはずっと歩いて見たかった川沿いの遍路道を探して歩きました。
岩屋寺を下ったら駐車場の先の橋を渡らず左折します。
ここが非常に分りにくくてずっと通れませんでした。
歩いてみたら石畳の道で少し歩きにくかったけど、川もきれいで車道の内側を歩ける近道でした。
その遍路道から一旦トンネルに入り、再び遍路道へ。
今回歩いて見た結果、八十八ヶ所メインルートも草で荒れているところが目立ちました。
時期の問題なのか、コロナウィルスの影響で人が歩けない、整備できないのでしょう。
時刻は16時過ぎです。
さて、車を停めている久万公園まで約7キロでしょうか。
10時20分頃歩き出して約6時間かけて進んだ距離は約14キロ。
山道があったのですが、それにしても遅いペース。
朝の出発がいつも通りなら既に車を回収していますね。
と言うことは普通の遍路さんでも槙の谷ルートで十分に久万高原町で宿泊しながら歩けると言うことです。
いかがでしょうか?