区切り遍路も31日目の⑤話となりましたが、まだ着きません。
一日歩いてるわけです。
荷物の重さも、単独行動で無いのも、そして犬の都合もあるのも、
俺の遍路は次から次へと形を変え、今となっては1日25km歩ける日も殆んどありません。
急ぐ遍路ではなくスロー遍路になったのもあって毎日本当に沢山のことがあり、見え、感じ、写真を撮ったりするので話も長く、記憶にも濃く残ります。
1人の時は昼には歩いていた20kmという距離が、今では1日かけて歩く距離となりました。
松尾峠までは低い峠の連続です。
淡々と、
集落を抜けてすぐに次の峠へ、そして次の集落へと。
この写真は、やっと「観自在寺まで18km」と3km縮まってくれた狼少年を撮ったもの。
この道しるべの8割は嘘をついていると俺は思っています。
最後にある集落の番所跡。
土佐ではここの宿毛と、徳島との県境にある甲浦の2ヶ所しか遍路の出入りは許されなかったようです。
特に、これから向かう宇和島藩はとても遍路に厳しかったとか。
時刻は16時前。
さて、野宿地はどうしよう、このまま松尾峠にアタックするか?
それはつまり、今から汗をかくことを意味する。
最後の集落を外れるとすぐに松尾峠登り口の蜜柑畑。
土管の置いている分岐を右にちょいと寄り道して休憩します。
通りからはかなり注意深く観察しないと気付かない子安地蔵堂が蜜柑畑の奥にあります。
通りからは屋根がチラッと見える程度です。
某遍路有名リストでも野宿地として紹介されておりますが「長期滞在禁止」の貼り紙があります。
つまり、そういう問題が起きた後で、しかし寛大な心で野宿を許してもらえているのでしょう。
この貼り紙が出ているということは、そう長くはない命かもしれません。
水、トイレ無し、室内はとても広く、外にも雨をしのげるベンチと軒先があります。
松尾峠を控えて野宿する時はマナーに注意して下さい。
少し話がずれますが、昨晩久し振りに某有名元野宿リストを見て考えさせられました。
確かに非常に参考になるリストであり、我が家も2巡目を歩いた時は肌身離さず愛用しておりましたが、
その後、こうして野宿しながら遍路の経験も増え感じることは、あのリストが全てだと思わないで欲しいということです。
あのリストに載っていて野宿できない場所もあるし、その反対もあります。
あれに載っていることが全てと思い込み、自分で見て判断することを放棄する危険性を感じています。
1200kmという長距離を歩く遍路ですので、それは判断の連続です。
考えることを放棄してはいけません。
四国を歩くだけが遍路なのではありません。
野宿に関しては本当にマナーあっての話であり、人それぞれ考え方も違うので難しい話ではありますが、
我が家は犬と旅をしており、宿に泊まることがますます難しくなったので野宿という手段を選ばせていただいております。
また某有名リストには「野宿場所の情報提供を」との文言が目につきました。
「うーん・・・」と考えさせられました。
以前より四国遍路の野宿のプロたちが野宿場所を他人に教えないことは有名でしたが、これだけマナー悪化による野宿地の閉鎖が続く以上、我が家としても、この場で具体的な場所や環境などを書くことは控えようと思いました。(ここら辺、場所によるのでちょっと難しい)
人の敷いたレールの上を歩く遍路なら犬でも出来ますし、文句も贅沢も言わないこの子達の方がずっと逞しく感じます。
宮崎健樹さんも言われた通り、
何故、遍路なのか、
何故、四国なのか、答えられるでしょうか?
それってワザワザ四国じゃなくても出来ることではありませんか?
もしかしたら、遍路に来る以前に出来ることがあるのではないでしょうか?
と、面白くない話をしていたら松尾峠まで1,4km地点まで来ていました。
今晩の野宿地は子安地蔵堂ではなく峠の東屋に設定。
流石に4リットルの水を追加して重すぎたのか、少し登っては止まりを繰り返し中々先へは進めません。
こんなにも体力が落ちたのかと思うほど必死に登りました。
ローソンで水を買ったときパッキングをし直すのがめんどくさくて雑に水を積んだのが疲労の原因でしょう。
途中、先人達が「土砂が流れる可能性がある」と石畳を敷き詰めてくれていた場所が決壊しておりました。
失われたことは残念ですが、今より道具も知識も少なかった時代の先人達の見る目と考える力の凄さを感じさせられます。
ここまで来たらもうひと踏ん張りでしょうか?