岩屋を感じる遍路道 区切り遍路30日目①からの続きです。
河合の休憩所から後は峠御堂に向かって登ります。
久万高原町の遍路道と言えば”八丁坂”が有名すぎて、実はハードな遍路道があまり語られることがありません。
そのうちの一つがここ”峠御堂”。
そして、昨日歩いて来た遍路道も意外にアップダウンの続くキツい道でした。
ここに「今回歩いた槙の谷ルートが楽だった」と言う根拠があり、打戻りで行きも帰りも同じ峠越えをするメインルートは本当にハードです。
トンネル横から峠御堂の遍路道に入ります。
ここを書くたびに注意として残したいのが、この峠御堂トンネルの危険さです。
歩き遍路で危険と言われるトンネルと言えば愛媛県大洲市と西予市の境にある鳥坂トンネルですが、そこを俺は歩いたことが無く(遍路道を迂回するトンネルです)自転車と車でしか通ったことしかありません。
自転車遍路の時は前日にその鳥坂峠で自転車遍路の死亡事故があったようです)
この峠御堂トンネルに関しては、トンネル出口(役場側)付近からカーブになっており対向車から右車線を歩く遍路の姿は直前まで気づけませんので、打ち戻るときに右車線を歩くと結構危険なのです。
逆打ちで峠御堂を登ると、すぐに石仏のある休憩ポイント。
峠に石仏が置いてあることが多いので、ここが峠だと思ったら、やはりまだまだ先は登ります。
勿論、後ろは全くついて来てません。
どうせいつものように、この世の終わりみたいな顔をして歩いているのでしょう。
「ぜぇ、ぜぇ」と息を切らしながら峠に到着。
いやぁ…、峠御堂は本当に厳しい峠の1つですね。
しかし、そこから下りがまた長く急だ。
これだけ下っていたらそりゃ巡打ち遍路の峠御堂はキツイですよ。
逆打ちしてみてますますそう感じました。
峠を下ったらすぐに44番札所大宝寺に到着。
ごめん、また、寺の写真撮ってないわ。
もう寺の何もかもが珍しくない。
今回、この峠御堂を超えて旅の終わりに44番札所を打つか迷っていました。
ここから続きを歩く時に、車を停めておく場所の関係で次回に回しても良かったのです。
次回はまだ歩いたことの無い千本峠ルートまで戻り松山を目指したいので、44番札所を打って峠御堂から千本峠ルートへ進むことも可能でした。
迷ったけど「今回打っておこう」となり、次回は峠御堂トンネル経由で千本峠ルートを目指すことになります。(結局、峠御堂を越えました)
さて、突然ですが、残念ながらここで今回の遍路は終わりです。
帰りの船の時間も迫っているので、車の所まで戻って三崎港まで2時間ほど走らなくてはいけません。
車のところに辿り着いたのは10時30分。
この旅の出発も同じくらいだったので、今回の遍路は宿泊も兼ねて24時間コースでした。
九州行きのフェリーが出港する14時30分まで時間に余裕があったので、内子から久万高原町への第3の遍路道であった”ほうじが峠ルート”を確認することにしました。
久万高原町から県道221号線に入り、くねくねくねくねくねと険しい山道を長時間走ったら、
内子町に入り、
その先が”ほうじが峠”になります。
海抜992メートルです。
ここまでずっとくねくねくねくねくねくねの山道で遍路道も確認できず。
この道を歩くことはハッキリ言って不向きすぎる印象を受けました。
ここから今まで走ってきた県道211号は砂利道になり、車で進む勇気が無かったので県道340号線経由の県道52号線へ。
これがまた酷い遠回りの道で、まさかの途中から突然砂利道と言う落ち。
昼食を予定していた道の駅小田の郷せせらぎに辿り着いたのは久万高原町を出発して2時間半ほど経っており、酷い山道を迂回していたようです。
俺「やっぱり四国は簡単には帰さないね…」
ここでフェリー乗り場までナビで計算したら、何と出航に間に合わない!
四国が「帰るな!」と言っている。
2時間は余裕を見ていたのに、その2時間以上を山道に使い果たし、その上目的のものは砂利道で進めずと言った、何も得るもののない冒険となりました。
しかしどういう訳か、”ほうじが峠”から砂利道である県道211号を外れて県道340号線を走っていたら石仏があった。
「いや、道路脇に石仏があることは珍しくないだろ」と車から降りてみると、皆さんお馴染みの、あの不自然に手首が曲がって五鈷杵を持っている空海さんがそこにいる。
俺「手っ…、手首絶対折れてるだろ………」
じゃなくて、何故こんな所に空海さんが…、と思わぬところで発見することになりました。
地図を改めてよく見ると確かに県道211号線は”ほうじが峠”手前で寸断されているわけですが、林道はそんなに悪路ではないのかもしれません。
そんな印象で道の駅小田の郷せせらぎ辺りから県道211号をそのまま登って来る道が遍路道っぽいですね。
ネット情報では遍路石の存在も結構な数で確認されているようですし、
愛媛県の出している情報にも”ほうじが峠”ルートの記載はちゃんとあります。
結局、フェリー乗り場には15分前に到着しました。
予約していたので、到着の見通しが立ってから余裕をかましていたら、
船員「乗船30分前を過ぎてますので予約は無効となります」と…。
「えっ?知らなんだ…」と頭が真っ白になっている俺達に追い打ちをかけるように、
船員「この船には乗船出来ないと思っていてください」と…。
どういう訳か、こんな時に限って船は混んでいる。
横で令和元年のゴールデンウィークで起きたキャンセル待ち17番目から乗船の奇跡を期待して、
お山さん「あの時の呪文を言って!ほらパルプンテって言って!」
と脅迫されながら、何とか最後から2番目と言うギリギリに乗船することが出来て、命からがら四国を後にしました。
今回もまた本当に内容の濃い、いい遍路が出来ました。
たった1泊2日とも言えないそんな旅に、こんなに長い日記が書ける訳ですから、やはり知らない遍路道を歩くこと、
そして、身体一つと背負った荷物で生活すること、本当に言葉に表し切れない何かが遍路には詰まっていると思います。
この旅が終わって10日以上が経ち献血に行った昨日、看護師に言われて気が付いたことがありました。
看護師「この傷はどうしたんですか?」
今から俺の腕に、俺の苦手な太い注射針を刺そうと不適な笑みを浮かべた看護師にそう聞かれ、
「そう言えば俺もずっと何でこんなに腕や首にいっぱい傷があるのか気になってたのですよ」
と答えながら「あっ!!!!」と思い出したのは、
あの草をかき分け、草を潜り抜け歩いた槙の谷遍路道でした。
あんな短い旅でも未だに沢山の傷痕が残り、この旅から帰って数日は酷い疲れと筋肉痛で、コロナにより約2年ぶりの懐かしい”それ”を感じておりました。
そして早速ですが、既に次の計画を立てております。
恐らく今までの遍路経験史上最高に苦戦が予想される篠山道。
そして新たに1匹増えた犬の関係で、今までの米2kgの加えて犬の餌約7kg増える計算になります。(店が無ければ2人と2匹の1週間分の主食だけで)
40番札所から篠山、そして宇和島へ続く篠山道を俺は車でも走ったことが無く店があることが予想できません。
今、過去の歴史と今の道路事情や店の情報をかき集め、犬の装備も新たに追加を予定し、
冬の宿毛から宇和島への篠山道を遂に歩いて俺の遍路の1ページに書き加えたいと思っております。
その後、篠山に挑んだ記録