遍路

越ノ峠と遍路石 区切り遍路29日目②

フットワークの軽い遍路 区切り遍路29日目②からの続きです。

 

今回は歩いたことの無い槙の谷ルートを選ぶ為、45番→44番と言う順に打つことになります。

本当は44番→45番と打ち、次回は千本峠ルートで松山方面を目指したいのですが、久万公園に車を停めて置く関係で、千本峠への曲がり角を通りすぎ、44番付近まで戻ってくることになります。

つまり、特殊な打ち方となるので参考にはなりません。

槙の谷ルートを選ぶ場合は農祖ルートで下ってきたまま45番へ向かうのですが、今回は槙の谷ルートを歩くことが目的なのでワザワザ遠回りをして槙の谷方面を目指します。

一旦、農祖峠を下ってくるポイントまで戻り、そこから槙の谷ルートである越ノ峠を目指します。

槙の谷ルートは数年前に購入した遍路地図には危険箇所と書かれ、自己責任で通ることになりますが、自己責任にならない遍路道は何処にあるのでしょうか?

黄色い地図に記載されてる遍路石を探しながら歩くけど見付けられず…、何故か探してない遍路石は見つかる。

歩いたことのない遍路道を歩くときに、そこに遍路石があると本当に嬉しくなる。

古来よりの遍路道を歩きたい俺にとって、その道が本当の遍路道であることを証明してくれる訳です。

 

お山さん『ねぇ、そこ遍路道ぽくない?』(写真白矢印)

 

お山さんの右側には大きな道路が走っており、そこを歩こうとする俺を引き止める。

確かによく見ると畑の間を通る遍路道っぽいのがあった。

それにしても…と、改めてそこにある遍路石に見入る。

何が書いてあるか全くわからないが、数字だけは読める。

『是従いわや七十三丁』と書かれているらしい。

いわやとは岩屋寺のことだろう。

そして、岩屋寺の方向を指差す手がとてもリアルだが、いつ頃の遍路石だったのだろう。

噂では、

この手が夜な夜な動き出し、

じゃんけんが出来るとか(嘘)

ここから俺の持つ遍路地図とは少し変わっていた。

画像の右から左へ向かっていることになるが、越ノ峠まで県道153号線に添う形でバイパス(赤線)が出来ていたのだ。

旧道とバイパスがすぐ繋がると予想して、多少登る旧道を避けたのが後悔する事となった。

とは言え、間違ったように終えたバイパス側には旧土佐道の道標がある。

つまりは県道153号線の旧道の更に旧道はここにあったのだろうか?

その少し上をずっと沿うように走る旧道153号線。

500mから1kmほどダラダラと坂を登ると旧道との合流地点に出た。

後で合流地点の旧道側の手前に遍路石があったことを知り、旧道を選ばなかったことに公開をした。

旧道と合流してすぐに峠を迎える。

全然大した峠では無く、真っ直ぐな坂道といった印象の越ノ峠だった。

ここからもまだ暫く民家の無い山道をトボトボと進むこととなる。

因みにこの地点まで現代の遍路道標は殆んど無い状態でした。

先に結果を言えば、目を凝らして歩いたこの遍路でも数個の遍路石を見落としてしまいました。

探したのに見つからないものもあった。

遍路石を見ることが1番の楽しみなのに残念です…。

 

遍路も1巡目は『点』の遍路。

数字だけが重要で、

荷物は何kg以内か。

今日は何km歩けるか。

その目標地点は何番の寺か。(それを基準にした宿)

何時間でそこまでいけるか。

時速何km出てるか。

そして、何日で四国八十八ヶ所を回り終えるか。

先の不安ばかりで今と未来が見えない遍路。

その遍路を終えて後悔を感じる人がとても多い。

40日で八十八ヶ所を回っても、60日で回っても、終わってみれば本当にあっという間のこと。

それを39日では回りたいけど、41日かかるのはちょっと嫌だ。

88と言う数字と点に囚われ、過ぎてみたら、まだまだ空白があることに気付かされる。

 

2巡目からは『線』の遍路。

まだまだ88と言う数字は重要だけど、88の点を目指す道中に過去の自分の背中を探す線の旅。

辛かった1巡目の思い出溢れる四国と言う大地を、本当の意味で自分を癒しながら、誉めながら歩く線の道。

 

そして、それが円となり、その先は『深み』の遍路になる。

大丈夫。

『深み』と言っても泥沼と言う意味ではない。

2巡目…、もしくは区切り遍路の何回目から、既にあなたは四国病と言う泥沼に入っている。

ここで言う『深み』とは、

もっと遍路を奥深く知ってみたいという興味だ。

今まで平面だった遍路からやっと立体感的な遍路になって行く。

『次はこの道を歩いてみよう』とか、『空海って?衛門三郎?中務茂兵衛?真念?武田徳右衛門?宮崎さんって?』

『番外?別格?薬師如来って?』と。

そして、その中から『感謝』の遍路となる人も現れ、信仰心が芽生えたり、遍路に対する恩返しを考え始める。

 

自分の納経帳を真っ赤に染めることや、札の色なんてどうでもいい。

大切なのは『考え始める』ことであり、それを実行に移せるかは住んでる土地の問題に大きく左右される。

『この遍路道の整備がしたい』

『この店にお金を落としたい』

『寄付をしよう』

『遍路の体験談を書いて皆に遍路を知ってもらいたい』

『歩くことが道標になる』と何度も四国に足を運ぶ。

 

三重か何処かの先達の話を聞いたことがある。

『先達なのに数回しか遍路を歩いたことがない』と。

確かに札の色や、何周したと自慢気に語る人が多いのが事実。

俺は車での100周よりも1回の歩き遍路だと思っている。

そして、先達と言う仕事で重ねた回数に何の価値を感じられない人間である。

お金を貰いながら重ねる遍路とはどんな世界なのだろう?

そもそも遍路とは四国八十八ヶ所を初めとした霊場を歩いて巡礼することであり、時代が変わり『遍路』ではなく『車遍路』と言う全くの別物が出てきた話だ。

『遍路』なのか『遍路風』なのか、この2つを一緒にしてはいけない。

大坂峠か、そえみみず遍路道か迷う人にどちらの特徴も話せ、車道も選択肢として判断できる人になりなりたい。

大坂と聞いて『はて?大阪府?』と思う先達も多いだろう。

サバイバルに対しての質問にキャンプ場の話をしても意味ないのだ。

 

話を戻すと、その数回しか歩いた事がない三重の先達は、どういうわけか、何度も何度も四国に足を運んでるらしい。

そして、自分が歩くことよりも、遍路道の整備に力を入れてるそうだ。

『深み』の遍路から、『感謝』の遍路へはとても大きな壁があるのかもしれない。

これは俺の考えを書いたことであり、

何処かに書いていたことを書いた訳ではありません。

色んな考えもあると思いますが、10周近く重ねた『遍路風』の後に、たった1回の『遍路』で全くの別世界を知り、それまでの自分が遍路の何も知らなかったことを痛感させられ体験したこと。

多分、俺はこれからも遍路をするし、その時に合わせて車遍路もすると思う。

それぞれの苦労もあるし、それぞれの楽しみ方を経験したい。

俺の感じた遍路、俺が俺に求めたい遍路を書かせて頂きました。

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