「篠山道の締めくくり」の続きです。
目次
町へ下る
御槇からは山の谷間を少しづつ下り続けました。
晴れるはずだったのに止まない雨。
それどころか雨はみぞれに変わります。
気分は最悪ですがその反面、今日で終わりを迎える篠山道にワクワクします。
時々向こうの空に見える希望。
篠山道の終着点である満願寺に辿り着くころには雨も上がるはず!
それまでは篠山道の修行だ!
そう自分に言い聞かせますが、相変わらずな強風で向こうに見える晴れ間もあっという間に雨雲に変わります。
再び集落が見えてきました。
湯乃香荘と言う老人ホームがありますが、その名から日帰り入浴という希望を出発前からずっと捨てて無かった。
雨の日は一眼レフをポンチョの中に封印しているのでスマホ撮影にて写真写りも暗いです。
日帰り入浴の希望は簡単に露と消えた!
この県道の下に道路が走っていますが、実はここには大師堂と遍路石があります。
雨でうっかり通り過ぎてしまって、降り口を見つけられなかったのですが、湯乃香荘まで来て下りるとしたら遠回りになるので興味があったら降り口を探しながら歩いて見てください。
雨の日は地図を取り出すのも億劫になるので道を見落としやすいです。
途中の遍路石と大師堂
区切りを終えた次の日確認に戻りました。
民家のすぐ横に大師堂と徳右衛門遍路石。
「これより いなりへ 六り」
よくみると左側に「いなり」と確認できますが、これは41番札所龍光寺のことです。
明治の神仏分離以前は稲荷社と呼ばれ、それ以降に龍光寺と名乗るようになったので、古い遍路石は「いなり」と彫られているそうです。
今回の旅のゴール地点は稲荷社の手前にある務田駅なので、この旅も残り約20キロとなりました。
明日の昼頃でしょうか?
御槇から続いた下り坂を下りきったのか、民家が増えてきました。
途中から右に見える県道を逸れて旧道を歩きます。
住宅の合間を縫うように歩きました。
目指す満願寺はそう遠くは無いだろうけど、予想に反して空には分厚い雲。
寒さで手が痛いし、強風は未だに止まず。
ある意味ポンチョが防寒具として役に立ちます。
俺は寒さで手が痛いため、ずっと手をポンチョの中に隠してここまで歩いてきました。
途中に一件スーパーのような店がありましが、確認をしていないを今後悔しています。
堀田商店と書かれた右の建物は空き家のようになっており、左の白い建物の中に商品が並んでいるように見えました。
もう津島の町が近いと思って油断してました。
住宅地を抜け旧道の橋を渡り県道に戻ります。
「向こうの山から歩いて来たんだよな」と、大冒険を思い出しながら、こうして自分を癒します。
「頑張ったね!」と言いたいのでしょう。
しかし虐待サバイバーである故、自尊心が低い俺は未だに自分を褒めることや、大切にすることに強いアレルギー反応を示します。
身体を労わるくらいなら、酷使していた方がしっくりくる。
遍路をしている他の人たちは本当に凄いと思う。
しかし自分にはそう思えず、何をやっても、何を達成してもホッとするだけで喜べません。
「自分を大切にしなさい」
「もっと自分を褒めなさい」
断酒の世界ではよく耳にする言葉ですが、恐らく今世では自分に厳しいまま生きていくでしょう。
いや、そうさせて下さい。
来世はきっと温室育ちだー!
再び遍路石
県道に戻ってすぐに遍路石ポイント。
左側は通り過ぎてうっかり見過ごすところでした。
高い所にあって気づきません。
右側にある遍路石は絶対に見たかった遍路石ですが、これもまた自然石だし、植え込みの中にあって分りにくい。
下が埋まっており、もう何が何だかわかりませんが、
「みき遍んろみち ひだりまんぐわんじ ぜんどうだいし 三めうがう」
と書いてあります。
ぼぉくにわ こぉいつがぁ にゃんのことうぉ いっているうおうのか むあったく うあかりむあせんぐぁ、はうぇえはなすぃ、
まんぐあんじって所に船板名号と言う版木が置いているので三めうがうー!ってことです。
三めうがうー!
いぇーい!
全くわがんね。
船板…船の板
名号…仏、菩薩の称号をさして言う。
三めうがう…わかんね。3度伺う?3回嗽う?
善導大師が宋から伝えられるとき、船が暴風雨に見舞われた。(ここで出てきました「ぜんどうだいし」)
その時船に乗っていた僧が船板に「南無阿弥陀仏」を書き、乗船者に念仏を唱えさせたところ嵐が収まった。
それの版木のようなものなのでしょうか?
俺にもそんな経験があったのを思い出しました。
あれはフェリーのキャンセル待ち17番目のゴールデンウィークの話。
「南無大師遍照金剛」と唱えたら船に乗れた、そんな奇跡の経験。
あの時俺は、フェリーの床に「南無薬師瑠璃光如来」と書いて船底の鉄板を外しておけば良かったと後悔している。
つまり、
右 遍路道(野井坂) 左 満願寺 善導大師 三めうがうー!
いや、やっぱわからん。
振り返らないと気付かなかった徳右衛門?遍路石・
文字がいっぱい書いてて全く読めなかった。
分かるのは「安政元甲寅年」きっと1854年。
その横にもちびっこ2個。
遍路石に喜びつつも、この寒さと止まない強風に苦しみながら、
さぁ まんぐわんじへ むかうぉう。
きっとすぐそこだ うがうー。
カイ「うー、ガウガウ!」
クウ(しっぽぐるぐる!)
と弱まりだした雨に希望を持って、まだ見ぬ満願寺へ向かうのでした。